400年立ち入り禁止だった久能山の禁足地に入れるぞ! 山頂にある伝説の愛宕神社と、久能城時代の手付かずの遺跡

・禁足地

こうして精神修養を終えたら、建物の裏からいよいよ禁足地へ。

これが400年ぶりに明かされし久能山の森……!

わりと生々しく整備中なのが見て取れる。聞くと、山頂までの道は毎年1月24日に末社愛宕神社例祭が開かれたりするため、それなりに使用されていた。

しかし山の木々は400年間手付かずだったらしく、いよいよ建物に危険を及ぼしかねない勢いになっていたという。そこで本当に倒れそうなものや、危ないものだけを伐採し、安全を確保することにしたそう。

現在はまだ絶賛整備中のようなのだが、ある程度整えば、一度一般の方を入れて、久能山東照宮のことを良く知ってもらう機会とするのも良いのではないか……という感じらしい。

さて、上の禁足地に1歩入った場所からの写真だが、ここですでにだいぶ貴重な、世間には知られていないものが3つ写っている。

1つはこの階段だ……!

こちら久能城時代からの階段だそう。城だった頃に武将たちが通っていたのはここだという。

もう1つはこちら。久能城の堀だ……!

久能城に関する遺構は日本平ロープウェイの建設などで失われた部分も少なくなく、そんなに残っていないと考えられている。しかし東照宮の社殿周辺から山頂までの西側のエリアは手付かずだ。

そういうわけで城の遺構も所々でそのままになっている。山頂までの道中では、恐らく曲輪(くるわ)や土塁、堀切などではないかと思しき形状の地形を見ることができる。

古城マニアや研究者にはたまらないだろう。わかりやすい石垣が遠くにチラ見えしている場所もある。

なお、発掘されたことは1度も無いらしい。ここは7世紀ごろからの歴史があるため、掘った際の可能性は計り知れない。

最後は写真中央奥の階段の向こうにある鳥居と、その先の祠だ……!

久能山東照宮の神は家康。では禁足地にひっそりとあるこちらは何なのか? まだ山頂ではないので、もちろん愛宕神社ではない。

その正体は、久能城よりも前、推古天皇の頃に久能寺を建立した久能忠仁を祀ったものだ……! 久能山の名前の由来でもある人物。この祠は存在すら公表していないという。

今皆さんは、ここまでわりと凄いものを目にしている。こんなフザけたネタ系メディアで公開していいものか、撮った私も逡巡があった。

周辺には、損壊したこのようなものがいくつか置かれていた。久能山東照宮に使用されている石は伊豆石という。採掘できず入手困難だそうで、壊れたものでもとってあるそう。

途中の木々も、完全に野生のものの他に、規則性をもって植えられたように見えるものがあった。恐らく城だった頃に意図をもって植えたのではないかという話だった。

言ってしまえばただの山道なのだが、考古学的なロマンが凄まじい。ここは山全体が遺構のようなもの。いたる所に気になる地形が目につく。

そしてついに至った山頂の愛宕神社! 日本で最も訪れられない神社のうちの1つで間違いない。まさかここに来れるとは……!!

せっかくなので、特別な御朱印を撮影しておいた。

聞くところによると、山頂の愛宕神社は富士山の方を向いているらしい。GoogleMapで見ると山頂の先は崖で、そのさらに先は確かに富士山だ。

久能山東照宮から富士山は見えないが、なぜ富士山が絡んだキャンペーンに参画しているのか? それは、この山頂の愛宕神社を正面に拝んだ先に富士山があるから……! 直接は見えないが、先には確実にあるわけだ。心の目で遥拝しよう。

この400年間、一般人には知る由もなかった事実である。なんせ関係者以外は誰もこの愛宕神社に来れなかったのだから。

なお久能山東照宮と富士山、そして日光東照宮は一直線上にあり、東照宮の社殿も富士山を背にするような角度で建っているそう。色々と富士山との関連を匂わせる久能山東照宮。

聞けば聞くほど興味深い点が出てくるが、今回はこの辺で。JR東海と久能山東照宮がタッグを組んで仕掛ける次の一手。これは凄まじいプランだ。

なんせ400年来だからな。道中であまりにも気になる遺構が多すぎて質問ばかりしてしまった。いちおう「もれなく富士山」ということで、テーマの軸は富士山なのだが、古城とか遺跡とかが大好きな人ほどめちゃくちゃ熱くなれるプランだと思う。

山頂まで以前よりだいぶ整備して歩きやすくなっているそうだが、それでも普通に登山なので、最低限の体力と健康な足腰が必要な点に留意を。

参考リンク:もれなく富士山久能山東照宮

執筆・撮影:江川資具

Photo:久能山東照宮 ※社殿および禁足地内部は特別な許可を得て撮影