●こぼれ話
観光客や地元の方らしき沢山の人々が参拝に訪れている京都の六角堂。六角堂本堂のほか、聖徳太子沐浴の古跡と伝えられる池や、京都の中心といわれている「へそ石」など見所が多い。どこを切り取っても絵になる素晴らしいロケーションで写真撮影からスタート。一瞬の人の切れ間にシャッターを切る。今回の対談は、六角堂の東部に位置する家元道場に移動して行われた。ここも凛とした空気が漂う、気品のある場所である。長くどこまでも続く畳の間。ここに多くのお弟子さんたちが集まり、作品を生ける神聖な場所なのだそう。自然と背筋がピンと伸びる。
初めて見るものや知ることが多く、対談の前から圧倒されそうだ。ただ目の前の池坊専好さんと向き合い、言葉を交わしていると、専好さんのお人柄に助けられて良い雰囲気で対談が進む。二度と同じ花材に出会うことがない、いけばなの世界。「一期一会」という言葉には、実感と熱い思いが込められている。
専好さんは本が好きで、よく読んでおられるとのこと。どんな質問にも言葉に詰まることなく、整理された状態で自らの考えを語ってくださった。華道家元池坊という少し特別な環境下で育ちながらも、環境に甘んじることなく日頃からいけばなに真摯に向き合い、経験や読書を通じて培われてきた深い考えが伝わってくる。
可愛いガラスの動物たちを見て盛り上がり、取材を終えても立ち話に花が咲く。女性活躍推進の取り組みが盛んな昨今、女性ということで注目を集めたりすることがあるという話題になったときのこと。「それもきっと縁ですし、良い機会にできるかどうかはその人次第ですよね」とおっしゃった。人前に出るきっかけはどうであれ、それにも意味があり、その機会に感謝の意を示し、何かを返せる人間でありたいなと専好さんの言葉を振り返りながら思う。さまざまな状況や考え方を柔軟に捉え、しなやかに生きる。そんな“いけばな人”専好さんのご活躍に、これからも注目していきたい。
(奥田芳恵)
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第363回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。