
仲野太賀が主演を務める大河ドラマ「豊臣兄弟!」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)。八津弘幸が脚本を務める本作は、天下一の補佐役とも称される豊臣秀長を主人公に、強い絆で天下統一という偉業を成し遂げた豊臣秀吉・秀長兄弟の奇跡をダイナミックに描く波乱万丈のエンターテインメントドラマ。
第17回(5/3放送)では、「小谷城落城」という物語の大きな転換点を迎え、浅井長政(中島歩)の最期は鮮烈な印象を残した。
WEBザテレビジョンでは、チーフ演出の渡邊良雄氏にインタビューを実施。第17回について、そして「本能寺の変」に向けての見どころを語ってもらった。
■異例の“市による介錯”に込めた思い
――第17回のラストシーンでは、市(宮崎あおい)が夫・長政を自ら介錯するという、これまでにない悲劇的かつ衝撃的な展開となりました。このシーンの意図を教えてください。
市が長政を介錯するというのは、もちろん今までの作品にはない設定です。時代考証的にはありえないかもしれませんが、割と早い段階からやってみようと準備していました。
もちろん、フィクションがどこまで許容されるかの線引きは常に考えていますが、僕らの中で“長政と気持ちを通い合わせた市だからこそ、最後の介錯をする”という形に説得力を持たせて、第17回を終わらせようと決めていました。
――撮影現場の雰囲気はいかがでしたか?
収録は昨年末でした。「これで今年の収録がすべて終わるんだ」という思いも重なり、スタッフ・キャスト一同、感極まった中での撮影でした。顔に血しぶきを浴びるというのは、宮崎さんの俳優としてのキャリアの中でもなかなかないことだと思います。長政とは政略結婚でしたが、彼の人柄に触れ、織田家の女性としてではなく、妻として気持ちが通じ合った。だからこそ、あの凄絶な最期が、一つの愛の形として成立したのではないかと思っています。
■宮崎あおいに感じた人間としての深み
――宮崎あおいさんとは『篤姫』『らんまん』でも組まれているかと思いますが、久々にご一緒されていかがでしたか?
『篤姫』(2008年)の時は、当時史上最年少の大河主役ということもあって、まだ幼さも残っていたように思います。ですが、今や彼女も母親となり、一人の人間として、ものすごく成長し成熟されたと感じます。役者としての技術はもちろんですが、それ以上に人間としての深みが増したという印象を強く受けました。
――介錯のシーンでは、宮崎さんにどのようなディレクションをされたのでしょうか。
長時間に及ぶ撮影でしたが、宮崎さんはこのシーンに並々ならぬ気持ちを入れてくれていたので、僕のほうから細かく演出することはありませんでした。ただ、「刀を振り下ろした先(首)は見せないけれど、市が血しぶきを浴びることで、長政を自分の手で介錯したということを表現したい」という話はしました。
難しかったのは、娘たちを連れて一度城を後にしようとした市が、立ち止まって引き返すまでの感情の機微です。小一郎(仲野太賀)と藤吉郎(池松壮亮)から大男のむかし話を聞く中で、まさにその大男は長政のことだと悟る。そして脇差を借りて介錯に向かうまでの持っていき方は、宮崎さん、仲野さん、池松さんと議論しながら、丁寧に作り上げました。


■戦国時代の不条理を描く“信玄の死”と“相撲”の象徴性
――第17回では武田信玄(高嶋政伸)の退場も描かれました。餅を喉に詰まらせるという最期には驚きました。
武田信玄の死因はいろいろな説がありますが、今回はこれまであまり例のないパターンです。毒殺の危機を脱して「天は自分に味方している」と確信した直後、自分でついた安全なはずの餅で亡くなる。これは、人の人生なんていつ終わるかわからないという戦国時代の不条理や切なさの表現になっています。ある種のリアリティがある、面白いエピソードだと思っています。
――また、信長や小一郎、藤吉郎たちと長政が相撲を取るシーンも印象的でした。
相撲をとることは、戦国時代にはよくあったことで、物理的にも心理的にも最も距離が近くなる行為として表現しています。長政と信長の場合は、義理の兄弟としての絆を確かめ合っているという表現。一方で、小一郎・藤吉郎との相撲は、長政が「どう生き、どう死ぬべきか」という問いに対し、自分の中で決着をつけるためのものでした。二人の姿が信長に重なり、幻想の中で信長を打ち負かすことで、長政はこの世に思い残すことはないという境地に達したのだということを描きました。
■“バディもの”としての青春から、天下人への変遷
――本作は「少年漫画のよう」という評価もあります。コミカルな描写とシリアスな展開のバランスについてはいかがですか?
今作を立ち上げる際に一番に考えたのが、主人公たちの「青春物語」にしたいということでした。年齢ではなく、戦国時代に殴り込んでいく若い二人の躍動感を描きたかった。だから、バディものとして兄弟ならではのいじり合いやコメディ要素も、あえて入れています。もちろん、立場が上がるにつれて昔のようにはいかなくなります。長政の死や足利義昭(尾上右近)の追放を経て、自分が責任を背負わなければならない状況になり、わちゃわちゃした部分は自然と減っていく。さらに本能寺の変を経て、秀吉のスイッチがガラッと切り替わることになります。

■松下洸平が演じる“少しヤバい家康”の魅力
――徳川家康の描かれ方も非常にユニークですね。松下洸平さんの演技が光っています。
家康は「たぬきだ」とよく言われますが、今作では周囲から「こいつ、ちょっとヤバい奴なんじゃないか?」と思われるくらいの描き方をしたら面白いんじゃないかと思い、意図的にそうしました。松下さんとも相談して、あえて“松下家康”としての新しさを描いています。嘘の薬を渡したり、とぼけたり、悪意をチラつかせたりと、松下さんにすごく面白く演じていただいています。家康が「あれ誰?」というシーンもありましたが、本当に「あれ誰?」と思っているんじゃないかと視聴者の方が感じるようにしたんです。その隣には、“さすがにそれはないだろ”という石川数正(迫田孝也)の顔がある。迫田さんには、どう反応していいのかわからない、という心情の表現として、あえて真面目な顔をしていただきました(笑)。
本能寺の変の後は、そんな彼が「自分にも(天下をとる)目がある」と自覚し、行動が激変していく。その変化の過程も見どころになります。
■迫る「本能寺の変」小栗旬のこだわりと要潤の光秀
――明智光秀役の要潤さんの印象をお願いします。
要さんは、画面に映ったとき何を考えているか分からない雰囲気があり、それが光秀という役にはまるだろうと思いオファーしました。光秀は非常に有能で善人でありつつも、仕える相手とことごとく合わなかった気の毒な人なのではないかとも思うんです。第17回で二条御所を壊し、義昭との絆であった碁盤を投げ捨てるシーンは、義昭との決別、そして彼のやるせなさを象徴しています。本能寺に至るまでの、光秀の中にある不安や切なさを、要さんがどう演じ切ってくれるか。僕自身も非常に期待しています。
――そして、視聴者が待ち望んでいるであろう「本能寺の変」についてお聞かせください。
これまでに描かれてきた本能寺の変は、セットでの撮影が多かったと思いますが、今作ではオープンセットを建て、ロケで『本物の火』を使って撮影しています。小栗旬さん演じる信長が、はっきりと自害する予定です。小栗さん自身も非常にこだわりを持って演じて下さっており、なぜ信長が自害の覚悟を決めたのか、皆さんに納得し、共鳴してもらえる形になっているはずです。ご期待ください。
※宮崎あおいの「崎」は「タツサキ」が正式表記
※高嶋政伸の「高」は「ハシゴダカ」が正式表記


