「一番大きかったのは、多忙による運動不足と過食ですね。お酒も飲みましたし、帰宅後の深夜に菓子パン数個を食べるのも珍しくなかったですから 会社や役所、駅、学校のトイレで清掃員を見かける。小便、大便を体から出すのは人が生きていくうえで極めて大切で、最も基本的なこと。だが、新聞やテレビ、雑誌ではその最前線にいる清掃員を大きく報じることは少ない。
今回は、高齢の清掃員の中で苦しむ40代の男性を紹介したい。この清掃会社(正社員600人)の現場(拠点)で働くパート社員2500人の平均年齢は、72歳。定年退職後、年金だけでは生活ができない人や外国人が多い。60歳以下では自営業者や会社員の副業、結婚したものの、離婚や死別した後にシングルファーザー・マザーとして働く人も少なくない。主に首都圏の高校、大学、公的機関、ビル、公園などの清掃を請け負うが、それらの拠点の1つで働くシングルファザーに取材を試みた。
◆職場の役割分担にただよう不公平感
4年前にうつ病の妻と離婚した吉井孝仁(仮名、48歳)は、フリーランスのウェブデザイナーとして働く。都内の私立高校に通う長男と公立小学校6年の次男を養うためには、額面で月平均45万円の収入では足りない。四国に住む母親が年金だけでは生活ができないために月に2~3万円を仕送る。手元に残るのは、30万円台半ば。ここから、賃貸マンションの家賃18万円が消える。
2人の息子を自分が卒業した一流と言われる有名私立大学に進ませたい。その入学金や学費、生活費を考えると、フリーランスで賞与がない以上、少なくとも毎月60~80万円は欲しい。そこで3年前から週4日、18時~22時半にパートとして勤務する。時給は1650円で、月に11万円前後、年間で130万円程になる。
「本業に悪影響を与えたくないのでストレスを感じないような単純労働で、人間関係に苦しまない職場を選んだつもりだった。家庭の清掃を離婚後、1人でしているからなんとかなると思った」
勤務先は、山手線のS駅そばの大型ビル。自宅から自転車で20分で着く。20階建てで、70を超える企業や団体が入居する。パート社員は吉井を含め、30人。所長が30人の配置を決める。吉井が強い不満を持つのが、この配置だ。
「指示をしやすい人や仕事ができる人に任せる量が多く、高齢者や慣れていない人、病気をしている人には極端に少ない。量が多い人に時給を上げたり、賞与を支給すれば納得いくが、時給は全員が同じ。賞与はない。それどころか、量が多いとトラブルが増え、クライアントであるビルの管理会社からクレームがつきやすい。所長から注意指導を受けるのは、得てして量の多いパート社員となる。その1人が、自分」
◆1階から12階まで200程あるごみ箱を1人で…
吉井はまず、18時から20時までごみ回収をする。1階から12階まで200程あるごみ箱を1人で周る。「燃える」「燃えない」「ペットボトル・缶・びん」の箱にあるものをそれぞれのビニール袋に入れ、台車に乗せ、地下1階のごみ集積所に運ぶ。2時間ですべてを終えるために、小走りで動く。夏は全館冷房だが、水をかぶったくらいの汗をかく。
とにかく、分別が出来ていない。目立つのが燃えるごみの中に、缶やペットボトルが入れてあるもの。挙げ句に正露丸や便秘薬のビンも放り込んである。
「最も困るのは、家庭用のごみを入れてある時。家で捨てると、分別が出来ていないから区や市の清掃車が持っていってくれない。だから、職場のごみ箱に持ってくるのだと思う。たとえば、パンティーに血やしみ、ウンチがついたもの。1級建築士の資格試験のテキストに食べ残しのパンやハムのかけらがはさまっていた場合もある。これらを分別するのは臭いが強く、手がただれ、時間がかかる」
粗大ごみになるはずの30センチを超える電化製品が、燃えるごみに突っ込まれている時もあった。吉井は「捨てた者勝ち。無責任な奴のやりたい放題」と怒る。1年半前にコロナに感染し、40度近い熱で数日間苦しんだ。次男も感染した。感染源は、このゴミだと思っている。だが、所長は認めない。
◆ゴミ回収するのは“若手”の役割
さらに理不尽なのは、ゴミ回収をするのは60歳前の男性に限られていることだ。70〜80代の男性15人は一切しない。15人は地下1階から15階までの廊下や階段、エレベーター、エントランス、駐車場を担当する。各階のトイレを女性7人が担当する。70~80代の15人の担当範囲は、吉井や女性よりはるかに狭い。吉井が、ごみ回収で館内を回るとそれぞれの動きがよく見える。
「ある者は廊下の隅でスマホをじっと眺めていたり、電話をしている時もある。誰もいない階段に座り、うたた寝をしている者もいる。所長が見回りに来ると、仕事中のふりをする。所長は15人には甘い。だから、こんなハードな職場で15人は平均10年勤務する。まさに老人天国。60歳以下は、数年で退職する」
15人は徒党を組み、手を抜きたい放題になる。仕切り役の78歳の井本に指導をする権限はないのだが、吉井らに説教をする。コロナで数日休み、出社した際に「休まれると、迷惑。あなたの仕事をフォローしないといけない。自分たちの担当が増え、時間がタイトになる」と叱る。吉井は、バカバカしくて言葉が出なかった。
ゴミ回収を終えると、大会議室に行く。長いテーブル40くらいと200を超える椅子に消毒スプレーをまき、ふいていく。この時、利用者は1人もいない。1人ですべてを隅々までふくのに、1時間半はかかる。所長は会議室横の喫煙室で15人のうちの4人程と煙草を吸い、20分も話し合い、盛り上がっている。
◆「病と仕事の両立」で、やりたい放題の高齢者
15人のうち、3人はがんなどの手術をして半年程経ってから働きはじめた。担当する範囲は、15人の中でも最も狭い。通常、1人で1時間でできるものを3人で4時間半かけて清掃をする。時給は他と同額で、健常者扱いを受けている。
噂で聞く限りでは、所長が特別な配慮をしているようだ。役員たちから、「病と仕事を両立する人を雇い、仕事をさせるように」と言われているという。この清掃会社が「病と仕事の両立推進」で公的機関から賞を受けているためとも耳にする。あるいは、創業者の社長が有名な経済団体の理事になるために「病と仕事の両立」に取り組む会社とアピールしようとしているともささやかれる。
3人のうちリーダー格である72歳の紺野は食道を全摘した手術を終え、今年で6年が経った。医師から「もう、大丈夫でしょう」と言われたと喜ぶ。権限はないのだが、吉井に指示をしてくる。「おい、ここも頼むよ」と命令口調で言い、自分は大きな窓から外をじっと眺めているだけだ。1日の仕事量は、30人のパート社員の中で最も少ない。大学生の孫に小遣いを与えたく、働いているらしい。
吉井は徹底してサボる紺野を見ると「がんを完治したなら、働けよ」とキレそうになる。だが、1人を敵に回すと15人が徒党を組み、村八分にする。まさに老人天国なのだ。30人の残り15人のほとんどが、30~50代だ。黙々と働くが、2年以内に次々と辞めていく。70~80代を極端に優遇したあり方に不満を持つからだという。吉井は、「所長は過半数を超える70~80代の男たちを怒らせたら、組織が機能しないと判断しているのだと思う。所長の在籍期間は2年。その後、他の拠点に異動する。この間、穏便に組織が動けばいいと考えているはず」と話す。
解せないのは、所長が60歳以下のパート社員には「スピードを上げてほしい。70~80代の仕事の一部をしてあげてもらいたい」と言う時すらあることだ。吉井は、呆気にとられる。真逆を本来すべきではないのか。70~80代のパート社員が、60歳以下の人の一部をするようにしないといけない。だが、井本や紺野らが「仕事の量が多い」と愚痴をこぼしているという。
「身勝手で横暴な老人と仕事はもうしたくない。とはいえ、デッドラインである月60万円の収入をキープするためにはとりあえずは、この仕事が手っ取り早い。なんとか、息子たちを母校に入れるまでは……」
文/村松 剛
【村松 剛】
1977年、神奈川県生まれ。全国紙の記者を経て、2022年よりフリー