マリ・クレール編集長、田居克人が月に1回、読者にお届けするメッセージ。二枚目の代名詞、本国フランスよりも日本で圧倒的な人気を誇ったアラン・ドロンが亡くなりました。
『marie claire style monsieur』2017年3月23日号では表紙を飾る
©CHUOKORON-SHINSHA,INC., 2017
生い立ちから来たものなのか、演技なのか? 冷たさ、酷薄さ、成り上がろうとする男を演じ表現する力は天性のものから?
フランスを代表する映画俳優アラン・ドロンが8月18日、88歳で亡くなりました。ドロンほど長い間、二枚目の代名詞として知られ、また日本で人気のあったフランス人俳優はいないと思います。
彼を最初にスクリーンで見たのは、パトリシア・ハイスミスのミステリー小説を映画化したルネ・クレマン監督作品の『太陽がいっぱい』(1960年)でした。
貧しい青年(ドロン)が、富豪の父を持つ友人(モーリス・ロネ)を連れ戻す仕事をその父から依頼されナポリに行きます。だがその友人の生活や自分に対する態度に嫉妬や怒りを覚え殺害。その財産と恋人を奪うため、また事件が発覚しないように、パスポートを偽造し、友人の筆跡を練習し、友人になりすますというストーリーです。ドロンの迫真の演技と、その陰を持った美貌に衝撃を覚えました。当時、中学生だった私にとって、映画のおもしろさと魅力を教えてくれた作品でもあり、今でも忘れられないシーンが数多くあります。
『太陽がいっぱい』1960年
United Archives / Getty Images
裕福な友人のヨットの上での食事の場面。ドロンがナイフに口をつけて魚を食べるのを「下品な食べ方だ」と注意されるシーン。友人を探している人から「シャツまで借りているのか」とからかわれるシーン。シャツには友人のイニシャルが刺繍されていたのです。またその男を殺害するシーンでは、ドロンの目の下の筋肉が痙攣するのがアップで映し出され、鬼気迫る演技で観る者を圧倒しました。まさに役柄と彼が本来持っているであろう孤独さ冷酷さ成り上がろうとする野心が重なり、それがとんでもなくリアルな演技に反映されていたのではないかと思ったものです。
あまり成功はしませんでしたがハリウッドにも進出したり、自身でも「アデル・プロ」という制作会社を作り映画製作に携わったりもしました。数多くの映画に出演しましたが、私が好きな作品はルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』(1963年)、ロベール・アンリコ監督の『冒険者たち』(1967年)、ジャン・ピエール・メルビル監督の『サムライ』(1967年)でしょうか。やはり彼本来の姿に近い人物を演じた時にこそ、彼の魅力が大いに発揮されたのではと思います。
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その美貌は、巨匠までも魅了した
彼の美貌と魅力に心奪われたのは観客だけではありません。ヴィスコンティ監督は『若者のすべて』(1960年)でまだ無名だったドロンを起用し、その後『山猫』でも重要な役を与えています。ミラノの名門貴族出身のヴィスコンティはドロンを大変気に入り、お城をプレゼントしたいとも言ったとか……。
ドロンが日本で特に有名になったのは「D’URBAN」(ダーバン)という紳士服のコマーシャルです。日本では団塊の世代の年齢の移り変わりとともにマーケットが大きく変わっていく、とよく言われます。当時「VAN」に代表されるアメリカの学生スタイルを、学生時代に身に着けていた層が、社会に出た時に何を着ればよいのか。それを「D’URBAN」は提示したのです。そのスタイルアイコンとして起用されたのがドロンでした。タキシードに白のスカーフというコマーシャル内でのドロンの服装は、夜の正装の定番スタイルにまでなりました。
ドロン自身は特にファッショナブルではなかったと思いますが、『サムライ』で示したトレンチコートの着方やベルトの結び方、またボルサリーノ・ハットのかぶり方、素肌に着たシャツのボタンの外し方などは、やはり男性のスタイルに大きな影響を与えました。21世紀に入ってからも「Dior」はメンズの香水「EAU SAUVAGE」(オー・ソバージュ)のキャンペーンにドロンの出演した映画の映像を使用しています。
私は2度ほどドロンを見たことがあります。最初は、日比谷映画でルネ・クレマン監督の『危険がいっぱい』(1964年)の公開初日の舞台挨拶のために来日した時。2度目は20年ほど前、パリのルーブル美術館のパーティ会場でした。
今でも鮮烈に覚えているのは、舞台挨拶の際のスタイル。ベージュのスーツにピンクのシャツ、黒のニットタイ。そのコーディネートは時代を経た現在でも私のクロゼットに収まっています。
2019年、カンヌ国際映画祭で名誉パルムドールを受賞したアラン・ドロン
Eamonn M. McCormack / Getty Images
数多くの浮名を流し、また自身の元ボディーガードが殺害された事件では関与が疑われ、政界を巻き込むスキャンダルにまで発展しました。重大な事件に巻き込まれながらも、最後まで俳優として生き残ってきたドロン。2019年、カンヌ国際映画祭で名誉パルムドールを受賞した際、壇上で涙を流しながら感謝の言葉を述べたそうです。フランス映画界はまた一つの時代を終えたと言えるでしょう。
2024年9月26日