戦前に建てられた老舗料亭「無門庵」の一部と庭園を生かし、独立した食房、茶房、1日4組限定の宿房から構成される「Auberge TOKITO(オーベルジュ ときと)」。2023年の開業にあたり、欧州の日本料理店で初となるミシュラン2つ星を5年連続で獲得した石井義典氏が、凱旋(がいせん)帰国した。海外で料理人として20年間、第一線を走り続けてきた石井氏が、拠点をロンドンから立川へ移すに至った理由とは?
ゲストのあらゆる“とき”に寄り添うのは、一流の料理人たち
大規模な再開発が進み、注目を集める西東京エリアの中核都市、立川。火付け役となった「グリーンスプリングス」を運営する「立飛(たちひ)ホールディングス」(以下「立飛」)が新たに手掛けたのは、約3,900平方メートルもの広大な敷地を有する和のオーベルジュ「オーベルジュ ときと」だ。
戦前に建てられた老舗料亭「無門庵」の建物の一部と庭園を生かし、独立した食房、茶房、1日4組限定の宿房から構成される、都市型オーベルジュ。デザイナーの緒方慎一郎氏率いる「SIMPLICITY」が建築およびインテリアデザインを担当し、伝統とモダンが調和した上質な空間が広がる。施設名の由来ともなる、ゲストのあらゆる“とき”に寄り添い、おもてなしの心を汲(く)むのは、総指揮を執る石井義典氏をはじめとした、一流の料理人たち。
総合プロデューサー・総料理長である石井氏。「京都吉兆 嵐山本店」副料理長を経て、ジュネーブ(スイス)やニューヨーク(米国)の国連大使公邸料理人を務める。2010年、総料理長として迎えられたロンドンの懐石料理店「UMU(ウム)」にミシュランの星をもたらし、2015年、欧州の日本料理店では初となるミシュラン2つ星を獲得。5年連続で同星を維持。「オーベルジュ ときと」開業にあたり帰国
「ロンドンで最初にこのプロジェクトの話を聞いたときは、僕も『なぜ立川に?』と不思議でした」。そんな言葉を皮切りに、自身の転換期について語る石井氏。海外で料理人として20年間、第一線を走り続けてきた石井氏が、拠点をロンドンから立川へ移すには、それなりの理由が必要だった。
「銀座や京都などの出店のお話はたくさんいただいていたものの、今さらそういった一等地に魅力を感じることはなかったのです。ところが、あきる野市に住む兄を訪ねたときに西東京エリアの豊かな自然と文化に触れ、興味が湧いてきました。このプロジェクトは立川だからできるし、だからといって本当の田舎でもないこの場所にとてもワクワクしたんです」
さらに石井氏を突き動かしたのは、再開発を主導する「立飛」の「立川のきちんとした文化を根付かせていきたい」という、この地に対する想いだったという。
もともと立川で飛行機の製造を行っていた「立川飛行機(のちの『立飛』)」は、戦争に伴い飛行機を軍へ収め、終戦後は米軍に接収されていた土地が返還されはじめたのを機に、立川を中心に不動産事業で発展していった企業。
食房の踊り場に飾られているプロペラ。返還された土地から出土した貴重な遺物
「戦時中、この場所にあった『無門庵』は、日本帝国陸軍将校専用の旅館となり、立川飛行場が近かったことから、特攻隊の少年兵たちが最後の祝杯をあげたのも、この料亭だったと聞いています。そういった過去の歴史に背を向けることなく、事実として残したいと考える前オーナーさんと想いをともにし、『ときと』は戦前から続いた料亭の面影をできる限り残していきたいと、門構えはそのまま、蔵や茶室、屋根などを生かした設計となりました」
南武線西国立駅徒歩1分の立地で約3,900平方メートルという土地に対して、再開発を手掛ける大手デべロッパーならば本来、大型マンションを建築するのが望ましいはずだが、利益の追求よりも「立川のきちんとした文化を根付かせていきたい」という「立飛」の信念に石井氏は心動かされたという。
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「ときと」ならではの日本の食の豊かさを味わう、食房
宿泊者優先のカウンター10席。食房のみの利用客向けの客席は、テーブル席全22席。他に個室(テーブル席)が3室(各4席)。さらにプライベートパーティーやビジネス、冠婚葬祭など幅広いご宴席にご利用いただける離れ(3分割宴会場)1室(最大20名)の構成
そうした視点で「ときと」を巡っていくと、「食房」はカウンター席を設(しつら)えた蔵や、テーブル席から臨む中庭が、料亭時代のものだと見てとれる。また、食器の多くは、建設時に掘削した土を使用して石井氏が自ら作陶したもの。伐採された木を利活用して器や箸として新たな息吹を吹き込んだほか、調理時や使用済みの箸を燃やす際に排出される炭の灰を釉薬(ゆうやく)として再利用しているという。
テーブル席おまかせコース ¥31,625(10品前後・税込)
「宿房のみ、食房のみ、茶房のみの利用もできますが、あくまでメインは食房」と石井氏が話す通り、「ときと」の料理は、石井氏と同じ京都の老舗料亭で研鑽(けんさん)を積んだ、総支配人兼料理長・大河原謙治(おおがわらけんじ)氏と、料理長・日山浩輝(ひやまひろき)氏という匠の布陣が、キーパーソンとなる。
もてなすのは一流の料理人や食の専門家たち。中央・石井氏の右が、総支配人兼料理長の大河原氏。2008年の「北海道洞爺湖サミット」で各国首脳に料理を振る舞い、高い評価を得た後、料理長として迎えられた京都の懐石料理店「いと」をオープン後、半年でミシュラン1つ星へ導いた。石井氏の左が、大河原氏の下で日本料理を修行後、イタリアのミシュラン3つ星レストラン「Ristorante Da Vittorio(リストランテ・ダ・ヴィットリオ)」で研鑽を積み、料理長に就任した日山氏
静岡県の猟師が仕留めるシカやイノシシなどのジビエ。これらの自然の豊かなめぐみが披露される。〈左〉石井氏が惚れ込んだ静岡県の猟師・太田さんの猪のお椀。〈右〉京都の農家・伊達さんのゆり根と黒トリュフ
「食材は天然のものばかりですから、『明日何キロください』と言うわけにはいかないし、どうしたってこちらが合わせていかないと。『半頭買いでいいので次、獲れた時にください』と伝えて、いつそれが届いたとしても、こちらが受け入れ体制を整えておかないと、いいお付き合いはできません。地道に築いてきた信頼関係があってこそなんです。例えば我々3人に共通する京都の修業先では、毎朝起きたら一番に農家さんに顔を出す習慣が当たり前にあって。当時からの繋(つな)がりで仕入れられる京野菜や、大河原の北海道の人脈で卸してもらえる北の大地が育んだ野菜など、この食房ならではの日本の食の豊かさに触れていただけると思います」
食房のテーブル席