「人生100年時代」と言われる現代、老後の生活設計はますます重要になっています。年金の繰下げ受給は、将来の収入を増やす手段として有効ですが、健康リスクや予期せぬ出費も考慮する必要があります。本記事では、渡辺さん(仮名)の事例とともに、FP事務所MoneySmith代表の吉野裕一氏が、年金の繰下げ受給を検討する際に知っておくべきリスクについて解説します。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。

65歳のときには見えなかった70歳の壁

現在72歳の渡辺さん(仮名)は、60歳で定年退職後、65歳まで雇用延長で同じ会社に勤めたサラリーマンでした。65歳になっても、年齢的に多少の衰えはあるものの、普段からウォーキングやスポーツを行うなど、健康面には自信がありました。そのため少しセーブしながらも、65歳以降も働きつづけることに。年金受給額を少しでも増やそうと、アルバイトの口を見つけることができたため、年金を繰下げして受け取ることを選び、年金受給の申請を行いませんでした。

しかし、それから5年のあいだに体力や気力も少しずつ減衰してくるのを感じるようになりました。65歳と70歳では大きな差があるようです。72歳になり体力もだいぶ弱くなったこともあり、繰下げ受給の申請を行いました。

72歳、生活が大きく変わった日

それから少し経った寒さの厳しい冬の朝、トイレに行った際に、意識を失い脳梗塞で倒れてしまいました。すぐに妻に発見されたこともあり、命や判断能力に別状はありませんでしたが、身体に麻痺が残るようになり、不自由な生活を送るようになります。

渡辺さんは現在の状況になって、「こんなことになるのだったら、もっと早く仕事を辞めて年金受給をはじめて、夫婦2人でいろんなことをやればよかった。繰下げ受給なんてせずに早く年金を受け取りはじめるべきだった」と悔やみました。甲斐甲斐しく身の回りの世話をしてくれる腰の曲がった妻の姿を見ると、申し訳なく情けない気持ちがあふれてきます。

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ねんきん定期便にも記載されている「年金の繰下げ受給」

2022年4月より、公的年金の受け取る時期を70歳から最長75歳まで延長することが決まり、現在のねんきん定期便でも、繰下げ受給をした際の年金額のシミュレーションが掲載されるようになりました。75歳まで繰り下げると最大で84%年金額が増えるのでメリットはありますが、メリットだけでなく、デメリットについても考えておく必要があります。

繰下げ受給をすることで、受け取る年齢が上がりますが、日本人の令和5年の平均寿命は男性で81.09歳、女性で87.14歳になっています。男性の平均寿命でみると、75歳から年金の受給を始めると、6年しか受け取れないと考えられます。年をとっても健康で過ごせるのであればいいのですが、認知症になったり寝たきりになったりという不安もあります。

日本人の令和4年の健康寿命は男性で72.57歳、女性で75.45歳となっています。生命保険文化センターによると、令和2年の脳血管疾患の患者数で、70歳代は36万5,000人と一番多くなっています。

渡辺さんの年金月額は27万円。渡辺さんのように、繰下げ受給をして年金額を増やせたとしても、やりたいことを制限されて、リハビリなどにお金を使うことになってしまうことも考えられるでしょう。受け取る年金額が増えることで、健康保険料や所得税が増えることも考えられます。

老齢厚生年金を受け取っている場合、万が一、亡くなった場合は残された配偶者に対して、遺族厚生年金が出るケースも考えられます。繰下げ受給をして、年金額が多くなっていますが、遺族厚生年金は65歳から受け取った年金額を基に計算されるため、繰下げ受給をしたからといって遺族厚生年金が増えることはありません。

将来のことは誰にもわかりません。渡辺さんのように、自分では健康だと思っていても不測の事態が起こりえるかもしれません。とはいえ、繰下げ受給をして健康で長生きができると、悠々自適な生活を送ることが実現できるケースもあります。老後の生活を考えて資金計画を立てたうえで、年金を受け取る時期を考えるのも大切です。