
3月8日は「国際女性デー」。1975年に国連によって制定され、各国でジェンダー平等や女性のエンパワーメントについて話し合う機会になっている。この50年の間に、働く環境をはじめ、女性を取り巻く状況は変化してきた。その過程には、活躍の場を自ら切り開いてきた人たちの足跡がある。2025年の今、女性が少ない世界で奮闘する4人の生き方に迫った。
いつもまっすぐ、媚びずに落語を
2021年、若手落語家の登竜門「NHK新人落語大賞」で古典「天狗(てんぐ)さし」を演じると、審査員が全員満点をつけた。50年近い歴史のあるこの賞で、女性が優勝するのは初めて。桂二葉が記者会見で「ジジイども、見たか」と口にしたところ、これが耳目を集め、『ニューヨーク・タイムズ』にも取り上げられた。
「散々『女には無理』と言われてきたので、ずっと言うたろと思ってました。勝ってからやと、説得力が違いますからね。“女流”って言葉は嫌いやねん。“二流”って言われているような気がして。もう、女性がやるのは難しいとは言わさへんで、ほんま」
子どもの頃は内気な性格で、あまり喋らなかったという。なぜ落語家になったのだろうか。
撮影:西田香織
「勉強が全くできなくて、クラスの誰よりもあほな自信があったんです。男の子ならそれを笑いにできるけど、女の子はなんとなく『あほと距離があるな』と思った。自分も堂々と廊下を走ってふざけたいのに、それができひんかった。そういう気持ちを大学生まで引きずってモヤモヤしとったんです」
ある日、テレビで笑福亭鶴瓶に惹(ひ)かれたのをきっかけに落語会へ足を運ぶ。
「『これやー!』と思いました。堂々と一人で喋って、あほな顔したりあほなことを言ったりしているのがすごい魅力的だった」
それから大阪の落語家を片っ端から観るうち、女性がやる難しさにも気づく。
「やっぱり女性はあほとの距離があって、無理してはるなと。でも、私やったらいけるだろうと思ったんです。あほだから、ほんまの気持ちでやれる」
大学卒業後はスーパーマーケットに就職してお金を貯め、桂米二に弟子入り志願する。
「『女の子はとらへん』って最初にきっぱり言われました。2回目はスーツを着て、履歴書を持っていって。それでもあかん、と。3回目で話を聞いてもらえました」
以降3年間、1日の休みもなく修業の日々を送った。
「上達がめちゃくちゃ遅かった。15分の話を覚えるのに半年かかりました。くやしくて毎日泣いて。師匠は怒鳴りながらも優しいんですよ。その優しさにグッときて、稽古中に泣く」
師匠からは兄弟子と同じように厳しく育てられた。しかし一歩外へ出ると、冷ややかな視線を浴びることは日常茶飯事。「女だから」という理由で出してもらえない寄席もあった。
「『女にはどうせできんやろ』と言われると、『ありがとう、ガソリンくれて』とエネルギーに変えていました(笑)。400年近く続く落語の歴史があって、男がやるもんだと思っているから、違和感があるんやと思います。高座に出ていくと、お客さんもまず『女だ』ってなるんですよ。でも、男とか女とか関係ないと思えるところまで持っていこうと」
高座で(写真提供:ステッカー)
落語界では女性も男物の着物で高座に上がることが多いが、二葉は修業時代からいつも女物だ。
「自分に似合うか似合わないかだけ。骨格的に、どう考えても男物は似合わへんのでね」
「嘘がない」ことを大事にしている。
「いかに自然に喋るか。自分のおなかから声を出すか。男をやる時に、無闇に声を低くする必要もない。優しい人、いけずな人、知ったかぶりの人、落語にはいろんな人が出てくる。それぞれ一人の人間として解釈するんです。子どもをやるからといってまるっきり子どもになりきるんじゃなく、その印象をつける」
古典落語に出てくる言葉が自身にとって腑に落ちない時は、アレンジもする。
「『あんさんを男と見込んでお願いします』とか、別に男じゃなくてもいいんちゃうかな、と。『嫁』も名前に変えています。当時の風情や匂いは残しておきたいけど、私自身が喋る時に『ここでこれを言わせたくない』と引っかかったら、その言葉は使いません」
落語への揺るぎない愛のもと、今は日々、地道に持ちネタを増やしている。
「いつもまっすぐ、媚(こ)びずに落語をする。落語って楽しいし、平和やし、まっすぐやれば絶対よさをわかってもらえる。もちろん死ぬまでやる気です。点滴を引きずりながら舞台に出てきても、笑ってもらえる人でいたい」
取材の日は蛙の手拭いだった(撮影:西田香織)
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