かつては一家の長男が後継ぎになるのが一般的でした。しかし、時代とともに親孝行、働き方の価値観は確実に変わってきています。本記事では川村隆枝氏の著書『亡くなった人が教えてくれること 残された人は、いかにして生きるべきか』より一部抜粋・再編集し、現代の後継ぎ問題の考え方について解説します。

若者は今…後継ぎ問題

「卒業したら家に帰って後継ぎをするの」と学生時代の友人はさみしそうにいいました。

「えッ、なんで? 今お付き合いしている彼と結婚して東京に住まないの?」

「私は長女で医師でもあるので、帰って診療所の後を引き継ぐことになっているの。なので、親の勧める人とお見合いをして跡取りになるの」

「えッ? では今の彼とは別れるの?」「そんなことできるの?」と私。

「最初から親との暗黙の約束だから仕方がない」と俯きながらボソッと話す彼女を見て「そんなことあり得ない。事情を話して今の彼を認めてもらったら?」という私に「向こうも長男なのでダメなの……」。その後、彼女は本当に実家に帰って開業医を継ぎました。

彼女が継いだ診療所は代々続いた名門で、周囲の人たちからはとても頼りにされていました。そんな環境でとてもいい出せずどんなに辛かっただろうかと胸が痛くなりましたが、その後、長男長女を産み幸せに暮らしていることを知り、ほっとはしたものの、複雑な思いが残りました。

時は経ち、長男が医学部を卒業したという喜びの一報がはいり、「彼女の犠牲は実を結んだ」と思っていましたが、それから十数年後「長男は、医大に残り診療所は継がないことになりました」との知らせ。驚きました! 

てっきりショックで落ち込んでいると思い彼女に電話をかけると、「仕方がない。本人がどうしても帰らないというので。それに、最近では、みんな大きい病院に行くので、患者数も減ってきたし、地域医療の役割も昔ほど必要なくなったみたい」と半ばあきらめの表情で返事が返ってきました。

「あんなに苦しんで自分を犠牲にしてまで家を継いだのに本当にそれでいいの?」と私のほうが興奮して聞くと「本人の好きなようにさせてあげるしかない」と。

母の愛情はすごいと思いました。愛する人をあきらめて決別し、郷里に帰って家督を継いだのに呆気ない結末に終わってしまう。どうにもやるせない、後味の悪い気持ちが残りましたが、当事者はなおさらだったことでしょう。

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時代が変わって、悩みが消えた

我が身を振り返ると、一人娘で両親も周囲の人も当然私が診療所を継ぐものだと思っていたのに、恋愛を優先し愛する人に嫁いだ自分を彼女と比較して、当時は罪悪感で悩みました。幸せな人生であったけれど少なからずその罪悪感にさいなまれていた自分でしたが、この話を聞いて、「そうだ、時代は変わって、もうそんな悩みは必要ないんだ」と思わず心が軽くなりました。周りを見れば息子や娘がいても家督を継ぐ人々は限られています。

実際に私が仙台医療センターの部長時代、研修医たちに親の後を継いで開業するか、大学または地域の臨床病院に勤務するか希望を聞いたところ、驚いたことに開業医の息子(娘)は病院勤務、一般家庭の息子(娘)は開業希望でした。

その理由を聞くと、開業医の息子(娘)は、「開業は昼夜を問わず働きづめで、自分一人のため休暇も思うように取れず、体を壊しそうだから」。確かに! 両親の後ろ姿を見てそう感じているんだなと思いました。

一方、開業医希望は、「勤務医よりお金が儲かりそうだから」。なるほど、開業すると経済的に豊かになると勘違いをしているようです。相当な収入はあるけれど、相応の支出もあり身を粉にして働かなければならないことを忘れていますね(実際は、開業医はお金持ちに見えても自転車操業のことが多い)。

というわけで、なかには「帰って後を継ぐようにいわれているので○○科医になります」という殊勝な研修医もいますが、ほとんどは、自分本位で決めていました。親たちも子供の自主性を重んじているのが感じられました。なかには医師の父親の背中を見て育ち、尊敬する父のようになり後継者になるべく何浪してでも医学部に入ると努力している息子がいるのも知っています。

いずれにしても今では、子供の自主性を尊重して親は見守るというのが、双方の幸せに繋がると思います。最近は学歴社会というよりは、なにか確かな技術をもっていたほうが、強い時代になりました。現に、高校を卒業してすぐにスポーツ界に入り自分の能力を発揮して功を成し、親孝行をしている若者たちもいます。それを許した親も立派だと思いました。

色々な形でできる親孝行

一方、高学歴であってもそれを活かせず苦労をしている若者たちもいます。家業を継がなくても多様性を重んじる現在は、色々な形で親孝行ができるのです。

かつて日本では一家の長男が後継ぎになるのが一般的でしたが、現代ではあまり見られません。その理由としては、家父長制的制度の崩壊や少子高齢化による出生数の激減が挙げられます。このような現状において、後継ぎを決めて自分の医院を継いでもらうことは容易ではありません。私自身も含めて、周囲では後継者不足で閉院を余儀なくされたところも少なくありません。最近では大病院に行く傾向がありますが、身近な医院として、またホームドクターとして、開業医の役割は大きなものがあります。

そうかといって、能力ややる気のない子供たちに親の都合で無理に医学部受験を強いると、彼らはうつになって自殺をはかったり、極端な場合は両親に殺意を抱くという恐ろしいことが起こり得ます。現に開業医の親が子供に医学部受験を強要して、疲れ切った子供が親を殺すという、信じられない痛ましいニュースも見られ愕然としてしまいます。そうなれば、双方にとってこの上もない悲劇であり、なんとしても避けなければいけません。

川村 隆枝
医師・エッセイスト