
気力・体力・知力があるうちに都会を出たい

山形の家の目の前に広がる鳥海山。うっすら雪化粧
――これまでの経験で役立ったことは?
2つあって、1つは「お金の勉強」です。
長年、介護業界で働いていましたが、私の勤め先では定年時の退職金が見込めません。私自身、ひとり身なので、将来のためにしっかりとマネープランを立てておきたいと思ったんですね。
それで30代後半ぐらいから、 お金のセミナーに通い、資産運用について学び始めました。老後までに貯めたい目標金額にはまだ達していませんが、着実に貯蓄を増やせたことで、フリーへの転向や移住にも踏み切れました。
もう一つは「英語の勉強」。
実は前々から海外留学したい気持ちがあったんですが、なかなかチャンスがなくて。離婚を機に、思い切ってオーストラリアに留学したんです。そのときに学んだ英語のスキルが今でも役立っていて、移住先での販売の仕事でも外国人のお客様への説明、チラシ作りなどに活かすことができています。
――「チャレンジするなら今だ」と思ったタイミングは?
「自然豊かで、ある程度の自給自足生活ができる」「行政の支援も厚く、移住者同士や地元の方との交流が盛ん」「仕事も選ばなければ何でもある」……。などなど、移住する上で自分が大事にしたい「優先順位」を整理しながら、条件に当てはまる移住先候補を探していきました。
そんなときに出合ったのが、生活クラブが展開している「産地で暮らすプロジェクト」。これは生活クラブと山形県酒田市が連携して移住希望者を募り、住まいや仕事、地域交流など、現地での暮らしをサポートするという事業です。
最初に募集案内を見たとき、「まさに私が求めていた理想にピッタリかも!」とピンと来ました。
寒いのが苦手なため、東北地方は候補には入れていませんでしたが、何度か現地視察を重ねるたびに、酒田の豊かな自然や文化の魅力にどんどん惹かれていって。
見知らぬ土地にひとり飛び込むよりも、長年、組合員として加入している生活クラブが移住者をサポートしてくれることも大きな安心材料となり、酒田市に移り住むことを決めました。
――移住について、家族の理解や協力はありましたか?
私自身は独身で子どももいないので、身軽。一つだけ気がかりなのは、父の他界後、一人で暮らす母のこと。
ですが、私の移住計画と同時期に、母は一人でも動きやすい都心への住み替えを考え始めたんです。
老人ホームも検討しましたが、結局は今まで住んでいたマンションを売却し、暮らしやすい立地とコンパクトな広さの家に住み替えることに。本人が納得のいくかたちに収まりほっとしました。お金の管理は今後のために家族信託契約を結んでいます。
コロナ禍や私の計画など、いろいろ重なりましたが、母の身辺の整理を弟と協力して分担できてよかった!それぞれの今後のことをきちんと話せた、いい機会にもなったのかなと思います。
幸い、弟が母と同じ区内に住んでいるので安心して移住に踏み切ることができました。
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56歳で地方移住。住まい、収入、苦労は?

酒田港での売り子の仕事。地方でも寄港者や移住者が多い港町はオープンマインドな雰囲気

自然の恵みの豊かさを四季を通して満喫。秋は銀杏を摘むバイト
――移住後の住まいは?
1年目は、この移住プロジェクトで一緒になった方と意気投合し、2LDKの賃貸住宅でルームシェアをしていました。現在は同じ建物の別の方の部屋でルームシェア暮らししています。
向かいには、歴史ある山居倉庫、目の前には鳥海山が広がる場所にあり、家賃は8.5万円(共益費含む)ほど。来年春頃までの期間限定のルームシェア契約ですが、相方の快諾を受けて、私が負担する家賃は約3分の1ほどです。
元々、モノを持たない、身軽に暮らせる、シェアする暮らしに興味があって、移住する前も、約10年ほどシェアハウスで暮らしていて、とても快適でした。だから新しい土地でも気の合う人と共同生活ができたらいいなと思っていたんですね。
相手の方は、生活クラブ組合員歴46年ということもあって、価値観が合うし、とっても居心地がよく暮らせています。「今日はきのこ狩りに行ったから、きのこご飯にするのはどう?」とか、お互いに持ち寄った食材で、朝食や夕食をともにすることも多く、日々和気あいあいと食卓を囲んでね。
――仕事や働き方はどう変わりましたか?
「移住先で思うような仕事がなかったら、介護の仕事に就こう」と考えていましたが、今のところ就職しなくていいぐらい、いろんな仕事をかけ持ちして生計を立てられています。とはいえ、大きな出費には、貯金を使っていますが。
こちらに来て、収入は一つの仕事で賄わなくてもなんとか暮らしていけるのかなと思うようになりました。いろんなお仕事を紹介してもらえるので、ワクワクするものに挑戦させてもらっています。
例えば、酒田では柿や梨など果物が豊富にとれるので、選果場で果物を仕分けるバイトをしたり、農家の収穫のお手伝いをしたり。植物性食品の加工と販売の仕事も週2回しているし、依頼があれば家事代行もしています。
最近は「複合シェア施設の管理人をやってみない?」と声をかけてもらって、そのプロジェクトに取り組んでいる最中。、また、私と同じように、最初の一歩を踏み出したい個人の小商いを応援したくて、地域の仲間とマルシェ運営も不定期に実施していて、ときどき自分が何屋さんなのかわからなくなるほど、忙しくなりつつあります(笑)
でも、そんな毎日が変化に富んでいて楽しいんです。
いろんな仕事をパッチワークのように組み合わせる「マルチプルジョブワーカー」の面白さをここで実感しています。

雪国の冬は厳しい。一日で車にこんもり雪が積もることも
――新しいチャレンジを始めたとき、大変だったことは?
交通の便の悪さ。
バスを1本逃すと、1時間以上来なかったり。飲食店も営業時間が短くて、午後の早い時間に閉まってしまったり……。都会での生活が長かったせいか、その時間感覚に慣れずに、たびたび機会を逃して痛い目に遭いました。
移住して最初の3か月間は自転車で移動していましたが、さすがに厳しくて。いきなり車を購入するのは躊躇してしまい、カーリースすることに。月々31000円(含む駐車場代)と予想外の出費にはなりましたが、維持費などを考えるとリースは気楽。行動範囲もグンと広がりました。
いざというときのために、移住前にペーパードライバー講習を受けていたので、運転も自信を持ってできたのも、よかった。
実際に住んでみて初めてわかることも多いものですね。
――1日の良いスタートを切るために、朝一番にすることとは?
毎朝5時半に朝日とともに目覚めて、ゆったりと瞑想することからスタート。朝の静けさの中での数ページでも読書する時間は自分にとって大切なエネルギー充電時間です。
すると、心が穏やかになって、今日もいい一日が始まりそうな予感がしてくるんです。部屋の窓から眺められる、鳥海山の美しい景色も毎朝の楽しみ。雄大な自然の眺めにパワーをいただいています。
――移住して、最もうれしかった出来事は?
まさかの海外交流ができたこと!
古くから交易港として栄えた「酒田港」は、現在でも海外からのクルーズ船が次々と立ち寄る寄港地となっているんです。先日は超大型客船「MSCベリッシマ」が初入港し、地域をあげて歓迎イベントを開催。私もバイト先から出店を任され、港の一角で商品を販売することになりました。
当日は、約4000人もの方が降り立ち、港は大にぎわい。最初はドギマギしましたが、外国人のお客様が通りかかるたびにうれしくなって、どんどん英語で話しかけました。「私、シティガールからカントリーガールになったのよ!」と、私の人生ストーリーも織り交ぜながら会話すると、みなさん気に入ってくださって。おかげさまで商品も思っていた以上にたくさん売れました(笑)
まさか移住先で、たくさんの海外の人たちと交流ができるとは思ってもいませんでしたし、お店を一人で任されて成果を挙げられたことも自信になって、とても良い機会となりました。
――自分の性格でいちばん自慢できるところは?
人懐っこいところ。
おしゃべり好きだからか、移住先の人たちともすぐに打ち解けられるのが自慢です(笑)