
50代後半でも、可能性はまだまだある

庄内町藤島伝承の槇島ほうきづくりワークショップで出会った、山形移5年目の先輩でもあるカメラマンに撮影してもらったポートレート(写真提供=下村しのぶ)
――リスタートをして得た最大の教訓は?
50代後半になっても、まだまだ可能性ってあるんだなと希望を描けたこと。
移住に踏み切ったからこそ、移住先でたくさんの素敵な人たちや仕事に恵まれました。山菜ツアーに行ったり、余暇も充実して、どんどん行動範囲も広がっています。
そして、「誰かのためじゃなく、自分のために生きていい」「まず自分を満たすことが、自分も周りも幸せにするんだ」と実感できたことも、得た教訓の一つ。
東京で介護の仕事をしていたときは、利用者さんのことを思うばかりに無理をしてしまい、体調をくずした時期も……。結局、仕事を続けるのが難しくなり一度離職したこともあります。その状態では自分も周りも幸せにできないことを思い知りました。
そうした“自己犠牲的なあり方”を卒業し、“自分が心から望む暮らし”を始めた今、毎日が生き生きしてストレスフリー。心も体も元気でいられるから、仕事も楽しく続けられてるんだと思います。

雪解け水でできる、家の軒先のつらら
――自信をなくしたときや、スランプから抜け出したいときの特効薬は?
落ち込んでもすぐに切り替えられる性格なのですが、ときどき「この先も生活していけるのかな……?」などと、不安になることも。
そういうときは友達とおしゃべりして発散したり。トレッキングや釣りに行ってリフレッシュしたり……。ちょっと足を伸ばせば、大自然があるので、澄んだ川の水やすがすがしい山の空気を感じるだけでも、気持ちがスッキリして元気になります。
――あなたの座右の銘は?
チャンスの神様は前髪しかない!
自分にとっての絶好のチャンスは、一瞬にして過ぎ去ってしまうもの。だから、いつもピンと来たときに行動を起こすようにしています。きっとこれからも、いろんな好機が巡ってくると思うので、逃さずにつかんでいきたい!直感やひらめきを大切にしたいと思っています。
――これまでの人生で最高の瞬間は?
子どもの頃、家族で海外生活をしていたときの3年間。
商社で働いていた父は超多忙で、私が小さいときは不在にすることが多かったんです。でも、中学1年生のとき、父の海外赴任が決まり、家族全員でチェコ共和国のプラハに移住することに。
もちろん言葉もわからないし、日本食材もなかなか手に入らなくて、大変なことも多くありましたが、私にとっては家族皆が身を寄せ合って暮らせた時間がとても濃密なものに感じて。
そのときの幸せな記憶が、きっと自分とっての「原風景」になっていているんでしょうね。人と助け合いながら暮らしていく今の生き方につながっているように感じます。
――これからチャレンジしたいことは?
しばらく山形での生活を楽しむ予定ですが、その先はもしかしたら海外とか、また別の場所に移住するかもしれません(笑)
以前、オーストラリア留学時に住んでいたシドニーは、私の「第二の故郷」と言えるぐらい大好きな街なんです。当時知り合った親友が住んでいるので、いつかまた暮らしてみたいという願望はあります。
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50代のリスタートに必要な3つの備え
1.オープンマインドな自分でいる
何か新しいお誘いや仕事のチャンスが来たときに、「私には無理だわ」とか「ちょっと面倒だわ」と断らずに、まず「どんな感じかな?」と興味を持ってみると、意外と「できそう!」「面白そう!」と思えることも。心を閉じずにオープンマインドな自分でいると、そこにチャンスやひらめきが入って来て、さらに可能性が開ける気がします。
2.自分の望みや得手不得手を書きだす
私も移住前にしましたが、自分は何が好きで、何が嫌いなのか?どういう環境や仕事だったら無理なく楽しめるのか? 例えば「一日中デスクワークは嫌」とか、「少人数でアットホームな職場がいい」とか、自分の望みや得手不得手について細かく列挙しておくと、理想の働き方や暮らしが見つかりやすくなると思います。
3.一旦、自分の中にあるものを全部認めてみる
50代ともなると、失敗も含めていろんな人生経験や学びが澱のように身についているもの。でも、それこそが自分にしかない価値であって、可能性なんじゃないかしら。だから、自分の中にあるものを全部認めて、そのままさらけ出せばいい。取り繕わずに素の自分のまま行動すれば、それが自分らしい仕事になり、生き方につながると思います。
取材・文=伯耆原良子 写真=藤田さん提供 企画・構成=長倉志乃(HALMEK up編集部)