◆“一人勝ち”が引き起こした皮肉な現状
もっとも、これこそミセスが一人勝ちしている理由であるとも言えます。ドラマ、映画、CMと、あらゆるメディアを飲み込んで、“ミセス”印を刻んでいくアーティストパワーは群を抜いています。その中で一定のクオリティを担保して、感動を供給していく。その媒介として、目下彼らの右に出る存在はいません。
ただし、彼らのように短期間で安定的に納品するシステムは、頻度が高ければ高いほどインフレを起こします。飽きられるのが早いのです。
ファンは彼らが短いスパンで新曲をリリースするほど喜ぶでしょう。しかし、それ以外の人たちにとっては、なんとなく心地よいミセスの音楽が、次第に当たり前の日常になる。刺激であったはずのものが、いつの間にか空気になってしまうのです。
皮肉なことに、彼らがクオリティを満たすごとに価値が薄まっていく。なぜなら、価値とは、常にそこにあることではなく、むしろいないことによる欠乏によって高められるからです。
◆日本のエンタメの「ミセス依存」
そう考えると、毎日ニュースで見ない日がないミセスがやっていることはその真逆です。「風と町」も、その“良質な繰り返し”を超えるものではありませんでした。同時に、いまの日本のエンタメがいかにミセスに依存しているか、一極集中に陥っているかを示している一例だとも言えます。
ミセスそのものがどうこうというよりも、視聴者が好む作風や表現がビッグデータ的に“ミセス的”なものに収斂されていく。
ミセス無双は、そんな世知辛い世相を映し出しているのかもしれません。
それこそが、朝ドラにビールのCMが憑依した『風、薫る』が放つ、いつものあの匂いなのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4

