◆カーニー首相の欺瞞
―― カナダのカーニー首相がダボス会議で大国の横暴を批判し、ミドルパワーの国々は結束して大国に対峙すべきだと主張しました。これはトランプに対する批判だとして話題を呼びました。その一方で、カーニーはトランプのイラン攻撃を支持しています。明らかにダブルスタンダードであり、西側の限界を感じます。このような姿勢では終末ファシズムは乗り越えられないと思います。斎藤 そもそもカーニーのダボス演説自体、欺瞞でしょう。カーニーの言うミドルパワーとは、カナダやオーストラリア、フランス、ドイツ、イギリスといった西側諸国のことです。イスラエルを国際司法裁判所(ICJ)に提訴した南アフリカは念頭にないし、あるいはコロンビアやブラジルなど南米の左派政権のこともまったく関心がない。実際、カーニーは演説の中で、チェコの反体制派だったハベルを引用し、共産主義を批判しています。
これではいくらトランプを批判しようが、結局、ヨーロッパ中心主義的な発想から一歩も出ていません。だからカーニーがアメリカのイラン攻撃を支持したのも不思議ではないのです。
◆ファシズムの台頭を防ぐ「唯一の道」
このような欧米の欺瞞的な姿勢を前に、むしろ重要になってくるのは、グローバル・サウスの試みです。コロンビアのペトロ大統領は、南アフリカなど30カ国と共同で「ハーグ・グループ」を設立し、ガザのジェノサイドを終わらせるように一貫して訴えており、コロンビアとイスラエルの外交関係も停止しています。同時に、気候変動に関しても、石油採掘の新規プロジェクトへの許可を出さないことを公約としており、実際に現在まで許可はおりていません。このような社会主義的なリーダーを支えたり、選挙で投票したりしたのは、労働者だけではありません。先住民、女性、環境活動家をはじめとする大衆による運動が巻き起こり、とりわけコロンビアでは「名もなき者たち」と呼ばれる地べたからの民主的運動が成果を見せているのです。
自然や弱者を犠牲にして、自分たちが生き残ればいいというやり方ではなく、人権や持続可能性、平等といった理念を具現化する人々の運動は、グローバル・サウスを中心に粘り強く続いています。もちろん、南米でも反動化の波は襲ってきていますが、「名もなき者たち」による運動が進歩的なリーダーを選ぶことが、ファシズムや独裁者の台頭を防ぐための唯一の道になってくるのです。要するに、この危機の中で問われているのは、グローバル・ノースの態度に他なりません。
◆「民主的計画」というビジョン
―― イランとの戦争がいつまで続くかわかりませんが、戦争が終わったとしても、今後も戦争や紛争が頻発するという予感があります。現に、いまアフガニスタンとパキスタンも戦争中です。どうすれば終末ファシズムに立ち向かうことができるでしょうか。斎藤 前著『人新世の「資本論」』では「脱成長コミュニズム」という処方箋を提示しました。資本主義による利潤の追求が環境破壊をもたらしているのだから、気候変動を解消するには脱成長に舵を切り、資本主義を抑え込むしかありません。この認識はいまも変わっていません。今後、欠乏経済がやってくる以上、余計なサービスを提供するブルシット・ジョブや無駄なモノを購入するブルシット消費によって、リソースを浪費している余裕はないのです。
脱成長型経済への転換の際に重要になる概念が、〈コモン〉です。〈コモン〉とは土地や水、種子といった、社会で共有されるべき公共財のことです。資本主義ではあらゆるものが商品化され、本来、共有財産であるはずの〈コモン〉まで商品化されてしまいます。その結果、お金を持った人しか〈コモン〉にアクセスできなくなり、人々の生活は不安定化し、欠乏が蔓延するようになりました。そこで、〈コモン〉をもう一度脱商品化し、民主主義的に管理しようというのが脱成長コミュニズムです。
しかし、事態がここまで悪い方向に進んでしまった、危機のフェーズ2においては、脱成長コミュニズムだけでは不十分なのも事実です。そこで、『人新世の「黙示録」』では新たな処方箋として「民主的な計画経済」を提示しました。供給サイドをしっかり立て直すための計画です。
とはいえ、「計画経済」と聞くと、どうしてもソ連の全体主義を連想すると思います。これはハイエクの影響です。ハイエクは『隷属への道』(1944年刊行)で、ソ連の計画経済は非民主的で非効率で全体主義を招くと批判し、市場経済の自由を擁護しました。実際、ソ連は無理やりノルマを課して生産性を上げようとした結果、監視や罰則が強まり、人々の自由や自発性が奪われ、計画経済は「隷属への道」に転化しました。その点に関してはハイエクの指摘はまったくその通りです。
しかし、ハイエクが擁護した市場経済の自生的秩序も今日では大変な惨状を招いています。市場経済が進んだことで貧富の格差が広がり、環境危機が生じ、地政学的緊張も高まりました。このまま市場経済を続ければ、富の集中が加速し、地球は荒廃し、一握りの特権階級が他の全人類を支配するようになります。ハイエクは計画経済を「隷属への道」と批判しながら、別の「隷属への道」を敷いただけだったのです。
ただ、『隷属への道』をよく読んでみると、実はハイエクも計画自体の不可能性や非効率性を証明しているわけではありません。ハイエクが批判したのは、あくまでソ連型の「中央集権的計画」です。ハイエクはあらゆる形態の計画経済が不可能とまでは証明できていないのです。ただ、彼は巧妙に「ソ連型の計画経済しかない」と議論を誘導し、その罠に何十年も私たちはずっとはまったままだったのです。自由な経済のための手段は市場しかありえないという私たちの思い込みを、「ハイエクの呪縛」と今回の本では呼んでいます。
ところが、今世紀に入って以降の急速な技術発展を踏まえれば、市場の価格メカニズムだけに頼らない需給の調整を行う可能性が拡大しているのは明らかです。ハイエクは私たちの生きる社会は複雑で、生産や消費に関するものも含めすべての情報や知識を得ることはできず、それゆえ効率的な計画をつくることはできないと考えていました。
しかし、今日の技術を用いれば多くの情報をもとにした効率的な計画は、決して不可能とは言えません。市民が意思決定に参加していれば、技術の使用がテクノ・ファシズムに陥ることもありません。私の言う民主的計画は、ハイエクが批判するような中央集権的な計画経済ではなく、専門家や市民、消費者、労働者たちが意思決定に参加し、計画を立案していくような経済への転換を目指すのです。
もちろん、その際には、国家の役割も重要になります。現に今回のエネルギー危機でも、それは明らかでしょう。以前から国家が計画的に化石燃料依存から再生可能エネルギーにシフトしていた国や、エネルギーの調達先を分散させてきた国は、この夏、訪れるかもしれない本格的なエネルギー不足を乗り越えられる可能性が高い。
一方、この間、左派はアナキズム的な発想で、小さな共同性における資本主義への抵抗に閉じこもってきました。けれども、やはり終末ファシズムに対抗するためには、国家による計画の力を使って、資本主義の暴走に歯止めをかける必要があります。
ソ連が崩壊し、社会主義が敗北したことで、私たちは計画経済というオルタナティブを捨て去りました。しかしその結果、資本主義が機能不全に陥っているにもかかわらず、資本主義に代わる大きなビジョンを示せずにいます。文明存続の危機に本気で対峙するなら、計画経済の理論を再びスケールアップさせる必要があります。
民主的計画という提案は無謀な試みだと笑われるかもしれません。しかし、いかに批判されようとも、この先に待ち受けている厳しい未来を生き抜くために、計画経済をもう一度やってみる必要があると私は確信しています。
斎藤幸平 (さいとう・こうへい)
1987年生まれ。経済思想家。東京大学大学院総合文化研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economyによって「ドイッチャー記念賞」を日本人初、歴代最年少で受賞。『人新世の「資本論」』(集英社新書)で「新書大賞2021」を受賞。同書は19言語に翻訳され、世界的ベストセラーとなった。
(聞き手・構成 中村友哉・月刊日本)
【月刊日本】
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

