◆ノートに書いた「ノムラの考え」は500ページにも及ぶ
池山は野村のミーティングが楽しみで仕方がなかったという。「僕はこう見えて、学生時代は授業中にノートをきれいにとっていたんです。大事だと思われる箇所にはマーカーで線を引き、図表を作るのも得意でした。監督の話も学生時代と同様、自分の心に響いた言葉に線を引いたり、枠で囲ったりしていましたよ」
翌年以降もルーキーが入ってくるたびに同じ話ではなく、前年よりバージョンアップして内容が深まった講義が多くなっていく。
池山は筆者とのインタビュー前に、当時のノートを引っ張り出してみたところ、書いた文字の量はA4判のノートで500ページ近くに及んでいることに気づいたという。
「それだけで一冊の本になりそうですし、『ノムラの考え』が凝縮されていたんだなと、あらためて思いました」
一方で池山の代名詞であるフルスイングについては、野村監督から疑問視されていた。
「実は野村監督から直接、『ブンブン丸を封印しろ』と言われたことは一度もなかったんです。あれは監督なりのマスコミに対するリップサービスだったんじゃないかな」
と回想するのだが、
「お前は三振が多すぎる。100個以上三振をするうち、半分をバットに当てて前に飛ばせ。そうすればそのうち何割かはヒットになって打率が上がるし、チームに貢献できる。これからはそういうバッティングを心掛けなさい」
というアドバイスをもらっていた。
◆心底こたえた「マネしたらあかんぞ」
三振が少ないに越したことはない。理屈から言えば野村の言う通りである。バットに当てない限り、ホームランはおろか、ヒットだって打てない。「けれども三振を減らすために思い切りバットを振らなくなれば、ブンブン丸でなくなってしまう。プロの世界で通用していた、僕の最大の特徴であるフルスイングをなくしてしまうのには、大きな葛藤があったのも事実だったんです」
と池山は当時の心境を吐露する。野球は失敗のスポーツだから仕方がない……という理屈は、野村には通用しなかった。ある試合中に池山が三振してベンチに戻ると、野村はみんなに聞こえるような大きな声で、
「ああいうバッティングをマネしたらあかんぞ」
とボヤいた。これには心底こたえたと池山は話す。結局、1990年は三振数が100へと減ったものの、91年以降124、148と再び増えていくと、野村のボヤキはますますヒートアップして、ことあるごとに「なんとかならんのか」と言われたそうだ。

