同期の田中さんが教えてくれた「泉を失った者のリアル」
奥田さんの確信をさらに深めた出来事がありました。それは、1年半ほど前のことです。
かつて隣の席だった同期・田中さん(仮名)は、住宅ローンと教育費で毎月カツカツでした。残業をいとわず、上司へのアピールも欠かしません。「奥田くんは気楽でいいよな」……その皮肉も、奥田さんは笑って受け流していました。
当時、奥田さんの勤める会社の経営状態は不安定な状態で、早期退職の募集がありました。田中さんは、それに即座に応じたのです。退職金は2,800万円。「これを運用すれば何とかなる、早期退職できてラッキーだ。お前が辞めないのが理解できないよ」と言い残し、田中さんは会社を去りました。
半年後、田中さんから連絡がありました。知人に勧められるまま退職金のほぼ全額を高配当株に一括投入したところ、直後の市場急落で評価額は1,600万円に。住宅ローンの返済は待ってくれません。焦った田中さんは底値付近で売却し、損失を確定させてしまったのです。
「戻るまで持っていればよかった。わかってはいた。でも、給料がないから売るしかなかったんだよ」——居酒屋でこぼしたその一言を、奥田さんは忘れられません。
田中さんは泉を自ら断ち切り、池の水だけで生きようとした。そして日照りが来た時、干上がるのを止める術がなかった。同じ暴落局面で奥田さんが一株も売らずに済んだのは、資産額の差ではなく、泉を持ち続けていたからにほかなりません。
FPが語る「資産があっても働き続ける」という合理的選択
奥田さんのような選択は、以下の点で極めて合理的です。
第一に、60歳まで厚生年金に加入し続ければ将来の受給額は増え、健康保険料も会社が半額負担してくれます。これらはまさに「泉」であり、退職した瞬間に枯れてしまうものです。
第二に、田中さんのケースが示した「収益率の順序リスク」。退職直後に暴落が来ると、生活費のために底値で売るしかなくなります。給与という泉があれば、暴落時にも資産を売らずに耐え抜ける。投資の世界では「市場に居続けること」が最大の勝因ですが、それを可能にするのが「泉を持ち続ける」という地味な選択なのです。
第三に、精神的な健康です。組織に属していれば生活リズムは保たれ、同僚の消費行動や取引先の動向は投資判断を支えるシグナルにもなります。
資産形成のゴールは「会社を辞めること」だと思われがちですが、本当の経済的自由とは「辞められるけど辞めない」という選択肢を持つことかもしれません。
