◆「早い時間に家に帰りたくないから」野球部に入部
小学生時代は毎日野良仕事を手伝っていた石毛だが、中学校への入学が近づくと、「野良仕事はもうやらなくてもいい」と家族から言われていたという。ただ、「家事を手伝わされるから、早い時間には家に帰りたくない」と考えていたという石毛。一風変わった理由で野球部への入部を決意する。
「一番遅い時間まで練習していたのが野球部だったんです。足が速かったので周囲からは陸上部に入るんじゃないかって言われていたらしいのですが、自分は野球部一択でしたね。家に帰る時間も必然的に遅くなりますから。ただ、当時の野球部は、まぁガラが悪いっていうのかな。自分が住んでいた旭は海っぺりでガラの悪い地域ではあるのですが、練習が終わると正座させられて、ぶん殴られたり……。1年生の時はそういうことが日常茶飯事でしたね。
試合に出るようになったのは2年生になってからでした。自分がいた旭二中は東総地区でそこそこ強かったのですが、それよりも強かったのが銚子四中や銚子五中でした。ちなみに、1つ年下の篠塚和典(元巨人)がいたのが銚子一中だったかな。あと、その後に銚子商で篠塚と一緒に甲子園で優勝することになる、エースの土屋正勝(元中日、ロッテ)が旭一中にいたんです。一中とは頻繁に練習試合をしていましたね」
◆中卒で大工を目指すも、担任から進学を勧められ…
きっかけは何であれ、小学校、中学校と野球を続けてきた石毛。中学校卒業後は大工を目指していたという。
「中学校を卒業したら、高校には進学せず大工になろうと思っていたんです。そうしたら、野球部の監督であり担任でもあった先生が『高校へ行って野球をやれ』と。自分たちが束になってかかってもかなわないような体格だったので、どうも逆らいにくかったのですが、それでも『嫌です』って言いました。ただ、再度『いいから、高校へ行って野球をやるんだ』と押し切られてしまいましたね」
石毛の能力が、いかに周囲から高く評価されていたかの証左である。幼少期に携わった野良仕事の日々も無関係ではない。
「草をむしる、鎌で何かを切る、斧で薪を割る。幼い頃から野良仕事をやらされてきたことで、体が自然と疲れにくい身のこなしを覚えたんでしょうね。あと、バッティングでは“てこの原理”(小さな力で大きな力を生み出すための原理)が重要ですが、そういった効率の良い腕の使い方にも活かされていたと思います。
耕運機に乗れば揺れるし、田んぼの畦道もボコボコしていて足をとられそうになりますし……。足首の強さや粘り、平衡感覚みたいなものは、田舎の環境が作ってくれたような気がしますね。体全体のバランスをとるための筋力や神経が養われたというか、農作業から得たことは多いと思います。農繁期なんかは、学校側から『今日は学校を休んで田植えへ行ってこい』と言われるような環境でしたから」

