◆死生観が変わってしまった

子どもたちの精神面に不調が出たことと事件の関連性について、正文さんは「はっきりとはわからない」としながらも、「少し思うところはある」と頷いた。
「事件当時、長男4歳、次男1歳です。次男はもちろん記憶がありませんし、長男も『ママとこんな場所に行ったね』など断片的な記憶しかありません。しかし、事件で間違いなく私たちの死生観は変わってしまいました。たとえば普通の家庭であれば聞き流すであろう事故のニュースなども、かなり深刻に受け止めるようになってしまいました。私自身も子どもから聞かれれば『子ども扱い』せずにきちんと大切なことを伝えてきたつもりです。そのことが、本来であればもっとゆっくりでよかった精神面の成長を急速に促してしまって、悲鳴を上げてしまったのかなと振り返ることがあります」
◆何もなかったことにはしたくない
事件から1~2年して、同じく埼玉県で交通事故の被害者となった小沢樹里さんらと繋がった。この出会いが「あいの会」の礎を築く。正文さんは事件後、勤務先の制度や同じ被害者との分かち合いによって精神を繋ぎ止めた。「友美が繋いでくれた縁だと思う」と口にする。一方で、傷つけられることもあった。
「辛かったのは、生前、友美が快諾してくれて同居していた私の両親の言葉ですよね。一緒に住むと見えてくるものが多くて、お互いに思うところはあったと思います。そのためか、私たちと両親では明らかに友美の死の重みが異なると感じた場面が多々ありました。サポートしてくれた面もありましたが、他方で子どもに『いつまでも泣いていても仕方ない』という声がけがあり、気が重くなりました。良かれと思っての発言だとしても、二次被害にはなってしまうんですよね」
正文さんの活動の根源は、友美さんの生命を無駄にしないこと。「友美は生命を消されました。私が何もしなければ、本当にこのまま何もなかったことになってしまいます」と唇を噛む。
年下だが、いつもしっかりだった者の妻。語り合ったたくさんの将来が、跡形もなく消えた。家を建てたとき、「(墓を作ることで)子どもを縛りたくないから、もし私が死んだら海に散骨してね」と友美さんは笑った。事件後、正文さんは約束通り海洋葬を行った。「もし私が死んだら」はもっと遠い将来のつもりだっただろう。
広い海を見渡せば、どこかに友美さんがいる。これが出来の悪い小説ならば、そう陳腐に締めくくるだろうか。けれども現実には、家族は現在も懊悩と葛藤の霧のなかでもがく。少しずつ笑える日が増えたとしても、事件前には戻らない。永劫回復しえないことを理解しながら、それでも友美さんとの日々を意味のあるものにすべく、前に進む。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

