【初夏の手土産に】センスが良いと褒められる!秀吉公も愛した紅い羊羹を受け継ぐ「駿 surugaya」(大阪・南森町)のネオ和菓子

実は秀吉も愛したレジェンド。教科書の向こう側と繋がる約560年の歴史

現代の私たちの日常に寄り添う「駿 surugaya」ですが、その美しさのベースにあるのは、脈々と受け継がれてきた「小豆炊き」の職人技と深い歴史です。

駿 surugayaの内観

実は、時計の針をぐっと巻き戻した室町時代(1589年)、日本で初めて寒天を入れた「煉羊羹(ねりようかん)」を開発し、それまでの日持ちしない蒸し羊羹から現在のような日持ちのする羊羹へと劇的な革命を起こしたのが、まさにこの駿河屋なのだそう。

当時は羊羹に寒天が入っていなかったなんて、現代の私たちには想像もつきませんよね。

駿 surugayaの商品

駿河屋で開発された煉羊羹は、なんと当時からこの鮮やかな朱色。あの豊臣秀吉が諸大名との交流のために千利休と開催していたお茶会で、「ハイカラでセンスの良い手土産」として重宝され、引き出物として配られていたという史実が残っています。派手好きで知られる秀吉御用達の、当時最先端のクリエイティブな和菓子だったのです。

こうしてお店の方からじっくりとお話を伺っていると、教科書の向こう側の存在だった「秀吉」という人物が、急にリアルに、血の通った一人の人間として実在していたんだな、と感じられて、なんだか胸が熱くなります。

駿 surugayaの商品

以来、子孫のそのまた子孫へと、脈々と受け継がれてきた製法、味、そして技術。

12代目で分家となった「大阪駿河屋」から、さらに腕を認められたお弟子さんへ暖簾分けされたのが、あの歌人・与謝野晶子の生家である「堺駿河屋」です。

ただ「お洒落で美味しい」だけじゃない。私たちが何気なく手にする一箱の背景には、日本の歴史そのものが息づいているのです。

560年続いても未来の保証はない。コロナ禍で決意した「暖簾を残す使命」

けれど、これほどまでに圧倒的な、560年以上もの歴史があったとしても、世界情勢の大きな波の前に、その歩みがいつ止まってしまうかはわからない。そんな残酷な現実を突きつけられたのが、世界中を巻き込んだあの「コロナ禍」でした。

未曾有の危機の中で、この先一体どうなってしまうのか、誰にも予測がつかない日々。そのなかで「何があっても職人たちの生活を守り続けなければならない」、そして「この駿河屋の名前と技術を、後世に残していかなければならない」という強い使命感があったそう。

駿 surugayaの内観

「500年以上続いてきたからといって、この先も続く保証なんてどこにもない」

だからこそ、どんな過酷な時代も柔軟に乗り越えていける強さを身に付けたい。その強い覚悟と切実な想いが形になったものこそが、この「駿 surugaya」というブランドだったのです。

「駿河屋を次の100年へ」

駿 surugayaの内観

そのテーマを掲げ、これまで和菓子に馴染みの薄かった20代〜30代の客層にも届くよう、店構えをスタイリッシュに、大切な人に贈りたくなるような上品なパッケージへと生まれ変わらせました。

歴史が長ければ長いほど、これまでの慣習や伝統を打ち破ることは、決して簡単ではありません。社内外から様々な意見を集め、葛藤を抱えながらも、少しずつチャレンジを積み重ねて今年で5年。洋菓子好きにも手に取ってもらえるような新感覚の和菓子を展開しながらも、その根底にあるのは、駿河屋に受け継がれてきた「小豆炊き」や「和菓子の製法・技術」という揺るぎない軸です。

駿 surugayaの商品

伝統にあぐらをかくのではなく、守るべき芯があるからこそ変わり続ける。次の100年の壁を本気で乗り越えようとするその熱い企業姿勢に、深く胸を打たれました。

配信元: ufu.(ウフ。)

あなたにおすすめ