
認知症を患った母を4年間介護してきた末娘。母は生前、「こんなに世話になっているんだから、この家はあんたに残したいね」と口にしていました。だからこそ、母の死後に始まった相続の話し合いで告げられた言葉は衝撃的でした。「介護してくれたことには感謝している。でも相続は別問題だよ」――家族みんな同じ認識だと思っていた。その思い込みが、思わぬ相続トラブルを招くことがあります。FPの三原由紀氏の解説とともに、介護をめぐる「きょうだい間相続」の実態を見ていきましょう。
仕事も生活も犠牲にして、母の介護を優先した57歳末娘
関東近県の地方都市に暮らす久美子さん(仮名・57歳)は、短大卒業後に地元の建設関連会社へ入社し、長年働き続けてきました。堅実な生活で、預貯金は約700万円。独身ながら数年前には住宅ローンも完済していました。
そんな久美子さんの生活が一変したのは、父亡き後に地方の小さな町で一人暮らしを続ける母・和子さん(仮名)が傘寿を迎えた頃でした。ある日、近所に住む知人から、「お母さん、この前、同じスーパーで1日に何度も買い物しているみたいだったよ。大丈夫?」と電話が入ったのです。
嫌な予感がした久美子さんが帰省すると、冷蔵庫には同じ食品がいくつも並び、飲み忘れた薬も残っていました。さらに、ガスコンロの火を消し忘れたのか、やかんを空焚きして焦がしたような形跡も見つかります。
当初は年齢による物忘れだと思っていましたが、転倒による骨折をきっかけに正式に認知症と診断。介護認定を受け、要介護3となりました。その際、ケアマネジャーからは施設入居も選択肢として示されました。しかし母は首を縦に振りません。
「施設なんて嫌。住み慣れた家を離れたくないわ」
そう話す母を見て、久美子さんは悩んだ末、一時的に実家へ戻ることを決めました。しかし、それには大きな代償もありました。
「フルタイム勤務を続けることが難しくなり、会社と相談して契約社員扱いへ変更しました。融通をきかせてもらうかわり、年収は500万円から約260万円まで減ったんです」
朝は食事の準備から始まり、通院の付き添い、介護サービスとの連絡調整、買い物、薬の管理。認知症の進行とともに見守りも欠かせなくなりました。
久美子さんが自分の生活を犠牲にして介護を続けてから4年後、和子さんは87歳で亡くなりました。しかし、ここからが、本当の“地獄”の始まりでした。
母の思いは知っているはずなのに…兄と姉が放った「まさかの言葉」
母の四十九日を終えた後、相続の話し合いが始まりました。母の財産は、実家の土地建物が約1,800万円、預貯金が約500万円。合計約2,300万円です。
久美子さんの兄(65歳)は神奈川県在住で再雇用勤務中。姉(62歳)は東京都内で夫と暮らしています。介護については、二人とも久美子さんに感謝しており、母も3人の前でたびたびこう話していたのです。
「私は久美子に一番世話になっているからね。この家くらいは久美子に残したいね」
久美子さんは当然、母が生前に話していた内容で話が進むものだと思っていました。ところが兄と姉は、こう切り出したのです。
「介護してくれたことには感謝しているよ。でも、財産の振り分けは法定相続で考えるべきじゃないか?」
「お母さんが『家を久美子に』って言っていたのは覚えてる。でも、最後までそう思っていたなら、遺言を残しているんじゃないの?」
2人は法定相続どおりに2,300万円を3分割した766万円ずつ分けることを主張したのです。久美子さんは耳を疑いました。母の思いも、自分の苦労も理解されていると思っていたからです。しかし、兄が続けた言葉はこうでした。
「介護サービスも使っていたのに、家という財産をまるまる渡さなきゃいけないほどだったとは、思えないんだよな。介護、そんなに大変だったのか?」
その瞬間、久美子さんは言葉を失いました。
フルタイム勤務を諦め年収が半減、4年間で1,000万円近くの減収となりました。それにより、将来の老後資金づくりは後回しになったこと。夜中に何度も起こされ、常に母を気にかけながら暮らしたこと。そうした苦労を、兄と姉が理解していないことに気づいたのです。
「別に、遺産狙いで母の介護をしたわけじゃありません。ですが、遠くから『ありがとう』と言っていただけの兄と姉が、私と同じ額を受け取るのは、さすがに納得がいかないんです。何の報いもないのなら、どうして私だけが、自分の人生とお金を犠牲にしなければならなかったんでしょうか……」
長年尽くした母を看取り、ようやく大役を終えて安心したのも束の間。久美子さんを待ち受けていたのは、身内であるきょうだい間での遺産争いだったのです。
