
◆幼少期から続いた監視のような過干渉
――どのようなご家庭だったのでしょうか。らむ:いわゆる転勤族ですよね。中学2年生ままでは青森県にいて、それ以降は宮城県にいました。大学進学とともに北海道へ私は住みました。
――とうに成人を超えているらむさんですが、いまだにお母様は職場に電話をかけるなどしている。
らむ:過干渉は幼い頃からありました。たとえば「(勉強のできる)◯◯ちゃんと仲良くしなさい」などと言って友人関係に口を出すことはしばしばありました。あるいは、思春期になっても母が買ってきた洋服を無理に着せようとして、私が拒否をすると洋服を投げつけられたり……。
――「母親の干渉がきつい」と意識したのはいつ頃ですか。
らむ:わりといつもきついのですが、干渉というよりも監視になってきたのは中学2年生のときだったと思います。当時、勉強のストレスから不安定になって引きこもがちになってしまいました。これに慌てふためいた母が、24時間私の部屋のドアを開けた状態で張り付いていたんです。プライバシーみたいなものはないんですよね。
◆北海道大学合格は「及第点」と…
――勉強のプレッシャーは、昔からあった。らむ:そうですね。小学生のときは、上の学年の問題を解かされたのですが、それがわからないと父から「バカっ!」と怒鳴られていました。
――ご両親ともに勉強がおできになるのでしょうか。
らむ:父は勉強が好きだったようです。旧帝大を目指したけれども、叶わなくて、高卒だったはずです。母はそこまで偏差値が高いわけではない私大……といったところでしょうか。
――では、ご両親は北海道大学合格をかなり喜んだのではないですか。
らむ:内心ではわかりませんが、かけられた言葉は「及第点だね」でした。両親は東大に行ってほしかったようですが、旧帝大である北大に滑り込めたから及第点――という意味かなと思っています。
――家庭という密室空間にいると、どんな仕打ちを受けても親を客観視できないことがありませんか。
らむ:まさに私もそうだったと思います。大学で独り暮らしを始めて、いろいろと自分の内面に向き合ったとき、アダルトチルドレンに関する文献などを読んで「自分のことかも」と思いました。ただ、母からはずっと「ママがあなたを愛していないと思っているんでしょ? それは違うからね」と言われていました。だから明確に母を毒親だと思えたのは、結構最近です。

