当時7歳。天真爛漫な笑顔で人気を博した彼女だが、裏では過酷な撮影スケジュールや学校でのいじめにも直面していた。その後、日本移住、芸能界からの離脱と復帰を経て、現在は意外な仕事に就いているという。47歳となったテンテンが語る、「キョンシー後」の人生とは。

◆12歳で日本移住、仕事漬けに
――キョンシーシリーズが一旦終了した後、活動拠点を台湾から日本に移されたんですね。経緯を教えてください。シャドウ・リュウ:当時、私と兄(兄も『幽幻道士』シリーズで活躍)のファンだった女性のご家族と私の父が意気投合して、「日本に来たらどう?」という話をされたんです。父は、日本でビジネスをしようと考えていたこともあって、移ることにしました。
――何歳の時ですか。
シャドウ・リュウ:中学に上がるタイミングだったので12歳ですかね。
――撮影が忙しすぎてほとんど小学校に行けなかったとのことでした。中学はどうでしたか。
シャドウ・リュウ:全然行けませんでしたね。日本では「黒BUTAオールスターズ」というガールズグループでイベントやメディアの出演もしていましたし、司会業も入ってきて日本中を飛び回っていました。
――カラオケに行ったりプリクラを撮ったり、遊びたい盛りの時期ですよね。
シャドウ・リュウ:まったくできませんでしたね。仕事ばかりで学校にもあまり行けなくて、中学3年生の時に先生から、「出席日数が足りなくて卒業できないよ」と言われました。義務教育だからそんなことはないんですが、それだけ行けてなかったということですね。
◆学業専念と“大人の俳優”への挑戦

シャドウ・リュウ:高校は卒業しておいた方がいいとは考えていたので、受験して学業に専念したんですよ。
――その後、高校を卒業して2000年に台湾芸能界に復帰、2003年には日本でも芸能活動を再開されました。7歳で「幽幻道士」のテンテン役に声がかかった時は「儲けるため」に受けたとのことでしたが、芸能から離れると、やはり演技の世界に戻りたいという気持ちが出てきたんでしょうか。
シャドウ・リュウ:そうですね。小さい頃は、家計のためでもありましたし、一生懸命やっていたんですが、大人に言われた通りに演技をするというだけでした。それが、大人になって「演技と向き合ってみたい」と思うようになりましたね。
――周囲から求められるものも変わりますよね。かつてはテンテンとしてだったのが、大人の俳優として。
シャドウ・リュウ:台湾ではわりと自然に、その時の等身大で受け入れてもらえました。ですが、日本ではどうしてもテンテンのイメージが強すぎて、他の役も付きにくくて仕事が取りにくかったぜんね。
――それほど「幽幻道士」が大ヒットだったということですね。 “脱テンテン”のために何かしたことはありますか。
シャドウ・リュウ:テンテンの時代はリュウ・ツーイーという芸名で活動していたんですが、復帰後に本名のシャドウ・リュウにしました。

