◆緊迫した空気を変えた若者の提案
気がつけば、山本さんたちのテーブルでは会話がぴたりと止まっていた。「周りの客も、なんとなく目を伏せている感じでした。罵声を浴びてうつむいている店員さんが、見ていて気の毒で」
しばらく様子をうかがっていた山本さんは、友人に「ちょっと行ってくる」と目配せし、静かに席を立った。
「知らないおじさんに声をかけて怒られたらどうしようとか、余計なお節介と思われないかなとか、いろいろ頭を巡りました。それでも、あの空気に耐えられなくて」
深呼吸をして、思い切って男性のテーブルへ。
「あの、すみません」と山本さんは笑顔で声をかけた。男性の顔をまっすぐ見つめ、「スマホで頼めますよ。よかったら、一緒に操作しましょうか?」と申し出る。
顔を真っ赤にして怒っていた男性は、一瞬、言葉に詰まったように沈黙した。静寂のなかで、ふと我に返ったような表情を浮かべる。
「身体の力がすっと抜けたみたいでした。さっきまで店員さんに向けていた剣幕が、目に見えて引いていったんです」
店員も、同僚も、周囲の客も、誰もが固唾をのんだ数秒間。沈黙を破るように、男性は絞り出すような声で言った。
「……頼む」
その言葉を聞いた山本さんは男性の隣に移動。スマホを借りると、手慣れた様子であっという間に注文を完了させた。
「終わりましたよ。このボタンを押すだけなので、次からも大丈夫だと思います」
山本さんが伝えると、男性は「……ありがとう」と小さくつぶやき、深く頭を下げた。それ以降、さっきまでの怒声が嘘だったかのように、静かに過ごした。
◆わからないと言えるようになりたい
山本さんはこう振り返る。「怒鳴ったって、QRコードの操作が急にできるようになるわけではないじゃないですか。最初から『わからないから教えて』と一言あれば、それだけで済んだ話だと思うんですよね」
責めているわけでも、見下しているわけでもない。ただシンプルにそう感じたのだという。
「時代の流れに逆らうんじゃなくて、ただ教えてもらえばいいだけなのに。本当にそれだけなんですけどね」
怒鳴って場を動かそうとした男と、笑顔のひひとことで場を収めた22歳。あの夜、どちらが頼もしく見えたかは、その場にいた全員がわかっていたはずだ。
できないことを「できない」と言える人間が、じつは一番強い。怒鳴ることで誰かを動かそうとする前に、その一言が言えるかどうか。それが、今の時代の「大人の器」を測る基準になっているのかもしれない。
<TEXT/maki>
【maki】
ライター・エッセイストとして活動中。趣味は人間観察と読書。取材からエッセイ、コラムまで幅広く執筆している

