生きるのが面倒。でも、死ぬのも面倒。それでいい

生きるというのは、何かをし続ける状態ですから、面倒といえばとても面倒です。
子どもの頃から「こんなことをして何になる?」という自暴自棄にも似た疑問が、私たちの心を何度もよぎります。そして、差し当たり「勉強はいい仕事につくため」「仕事は不自由のない生活をするために、必要なお金を稼ぐため」など、当面の答えを出して生き続けます。
あなたは今、それら人生の問題を分析した結果、「生きるというのは面倒である」という、否定しようのない達観に至ったのでしょう。
まったく、生きるのは面倒です。やることがたくさんあるのですから。
幸か不幸か、あなたはまだ「人生が終わってくれないかと思いつつ、かと言って自殺とまではいかない状態」とのこと。そんなあなたに、私は面倒をとことん極めてほしいと思います。
「生きるのは面倒だが、かといって死ぬのも面倒だ」とさえ思えるようになれば“面倒の達人”、“面倒道の免許皆伝”と言えるでしょう。
死ぬのも面倒だから、とりあえず生きていくか……でいいですよ。トカトントンの力が持続している間は、それでいいと思います。
数年ごとにトカトントン状態になる私の人生観の基本も、あなたと同じ「人生は面倒である」です。生きることに関して前向きで積極的答えが出ない(出せない)以上、「生きることは面倒」と認めた上で、「まあ、面倒だけど……」でいいと思うのです。
それが心穏やかに生きていくコツでもあり、小さいながらも一つの悟りです。
人生丸ごと回り道!何となく終わる人生も理想

私は60歳を過ぎて、次の言葉を座右の銘の一つにしています。
寄り道、道草、回り道、人生丸ごと、そんなもの
大好きだった音楽に興味がわかない時もあります。生きがいを見つけるのも面倒に感じることもあります。それもこれも、人生の中で少し寄り道をしている時、道草をくっている時、回り道をしている時だと割りきればいいのです。
そのうちに、「旦那にヤキモチを焼かせてみようか」とか「最低3日かかる料理を作ってみようか」など、もろもろのスイッチが入ったりします。そうこうしているうちに、何となく人生が終わっていくでしょう。まさに、人生丸ごと回り道です。
法律で罰せられるようなことはせずに、何となく終わっていく人生は、一つの理想的な在りようだと思います。
■回答者プロフィール■
名取芳彦さん

なとり・ほうげん 1958(昭和33)年、東京都生まれ。元結不動・密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。写仏、ご詠歌、法話・読経、講演などを通し幅広い布教活動を行う。日常を仏教で“加減乗除”する切り口は好評。『感性をみがく練習』(幻冬舎刊)『心が晴れる智恵』(清流出版)など、著書多数。
構成=竹下沙弥香(HALMEK up)
※HALMEK upの人気記事を再編集したものです。

