◆「思うような人物ではなかった」と落胆するのは“独りよがり”
そこには、偉大な仕事をする人間は、それ以外の面でも同様に偉大であってほしいという思い込みがあります。つまり、こちらの想定した善を対象に投影しているのです。たとえば、美しい曲を書くミュージシャンが素敵な人柄であってほしいと思いたがるのと似たようなものです。しかし、大谷選手はただの野球選手に過ぎません。超一流の投手であり、ホームランバッターであることが、政治的に正しいとされる態度を取ることを約束するものではないのは当然のことです。スペインやアルゼンチンのサッカー選手が取った行動を、彼も同じようにできるとは限らないのです。それゆえに、大谷選手がノンポリだとか、右寄りだとかと批判するのもお門違いでしょう。
にもかかわらず、自らの設定したプロット通りに動かなかったからといって、勝手に大谷選手にがっかりしているのです。これは独りよがり以外の何物でもありません。
もちろん、大谷選手に知的に成熟したアスリートとなってほしいという期待を込めての苦言という向きもあるでしょうが、それは余計なお世話であり、ないものねだりです。ピッチャーとバッターで頂点を極める人間に、さらに“政治的に正しい”振る舞いという三刀流まで求めるのは、あまりにも酷な話です。
大谷翔平は、投げて打って走っていればいいのです。
文/石黒隆之
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4

