決議は「民主主義への冒瀆であり、国会の越権行為」とも
さらに高市氏は、開戦に至った経緯や「侵略行為」の有無について、「生き証人以外が断言できる性質のものではない」との認識を示している。
その上で、かつての政権による決定を「正義」だと信じて戦った人々や、銃後を守った家族、戦争を支えた納税者を挙げ、
「それらすべてを断罪する権利など、50年も後の選挙で選ばれた我々政治家にあるはずはないのだ」
とした。
国会が歴史認識を「日本国民全体の意思」として定義することにも異議を唱えた。当時の世論調査で謝罪の是非が拮抗する中で、決議を可決することは「国会での多数決でわずかに多い意見を日本国民全体の意思として国際社会に示すこと」で、それは「民主主義への冒瀆であり、国会の越権行為」だと主張した。
もっとも、首相就任後の高市氏は、「反省」を否定しているわけではない。25年11月7日の衆院予算委員会で、村山談話など歴代政権の考え方を「踏襲する」としたうえで、
「政府としては、悲惨な戦争の教訓を風化させず、世界の平和と繁栄に貢献していくという決意には変わりはございません。また、我が国の戦争の歴史というのは、こうした戦争への反省を行動で示してきていると考えております」
と答弁している。
政府としては「反省」を行動で示してきたと説明した高市氏だが、自らの言葉で述べる戦没者追悼式の式辞には「反省」を盛り込まなかった。約30年前の国会質問や著書で展開した持論を踏まえれば、政府見解の踏襲とは別に、高市氏自身の歴史認識が式辞の言葉選びに反映された可能性もある。
(J-CASTニュース編集委員 兼 副編集長 工藤博司)