【てんかん育児】仕事中でも涙が勝手に流れるように。嘘でもうつ病と言われたかった
脳波検査などした結果、子ども達のてんかん発作は、寝入りばなや寝起きに多く起きるタイプのものでした。
それ以来、夜がとても怖くなり、寝かしつけも「絶対に自分が先に寝てはいけない」といち早く子ども達の異変に気づくため、常に気を張っていました。
寝てからも深い眠りになるまでは油断できないので、毎晩1~2時間近く子ども達の寝顔を観察する日々。
また、誰よりも早く起きて、子ども達がしっかり目を覚ますまで隣で見守り続けていました。
そんな日が続き、昼間は会社で仕事をして、夜は子ども達のことで頭がいっぱい、気づいたら自分の時間はなくなっていました。
さらに「自分が先に寝ていけない」ことが追い打ちをかけ、徐々に眠ることができなくなりました。
また会社では、寝不足と精神的な負担が重なり、仕事中でも涙が止まらないことが増えていきました。
大好きなデザインの仕事なのに、ずっとデザイン一筋で頑張って来たのに、制作物が涙で見えなければ仕事になりません。「好きだ」と思えなくなるほど、追い詰められていきました。
実はこの頃、数回だけ心療内科に通っていました。医師からうつ病の診断が出れば、仕事の諦めがつくだろうと思ったからです。
しかし、わたしはうつ病ではないらしく、一時的に心が疲れているだけということで睡眠薬が処方されました。
はじめのうちは飲んでいましたが、1錠では効果がなく、だったら2錠…。
それでもなかなか眠れず、朝方ようやく眠りにつくというような日々が続きました。
そしてある日、ついに限界を迎えます。「このままでは自分自身がダメになってしまう」と、やっと自分の状態を受入れることができ、会社に相談して週4勤務をお願いしました。
【てんかん育児】周りからの気遣いの声は、逆に塞ぎ込む原因に
それからは、毎週水曜日をお休みにしましたが、朝から夕方までご飯も食べず、ずっと布団にもぐっていました。
時には休むことの大切さを今なら理解できますが、当時は何となく自分が悪いんだという思いや、社会に取り残された感があり、外出が億劫になっていました。
水曜日に一番見ていたのは家族の顔ではなく、少しほこりっぽい真っ白な天井でした。
この頃に更新していたSNSの内容は、ネガティブなことばかり書いていて、まさに悲劇のヒロインそのもの。
かといって、直接誰かに相談したり愚痴を言ったりする勇気は自分になく、SNSを通じて間接的に人と関わっていました。
それでも、時々身内から電話が来たり、ママ友と話す機会はありました。
多くは気遣いの言葉でしたが、素直に受け入れることはできず、「みんな人の気も知らず勝手なことばかり言っている」と、ますます布団から出なくなりました。
この頃一番言われて辛かった言葉は、「仕事を辞めて実家で子育てをしたら?」でした。
今はフリーで仕事をしていますが、当時は独立をしようとはこれっぽっちも考えていませんでした。メリットよりデメリットが多いと感じ、またそれ以上に自信や勇気がなかったからです。
確かに、大人が多い方がわたしも楽だし、気持ちも穏やかになったかもしれません。
今よりも生活費もかからず、貯金も出来たと思います。子ども達も祖父母と楽しく暮らせたでしょう。
正直な所、私以外の身内は全員、実家に帰って子育てをすることに賛成でした。主人もその方が私も楽だろうと気遣ってくれたんだと思います。
でも、私だけがそれを受け入れることが出来ませんでした。気持ちとは裏腹に、変なところで負けず嫌いで、自分は何も悪いことをしていないんだから実家に帰るつもりはない!と言い切ってしまいました。
配信: 35style