こんにちは!トクバイ編集部です!
もうじきやってくる2月の季節行事「節分」。
節分といえば、様々な具材を巻いた「恵方巻き」が思い浮かびますよね。
そんな恵方巻きですが、どのような由来を持ち、どのようにして今日の姿になったのかご存じですか?
実は、恵方巻の由来には様々な説があるんですよ。
今回の記事では、「恵方巻の由来や起源」「令和の恵方巻トレンド」について解説します!
「今年の方角は東北東」恵方巻の起源や由来は?【諸説ある】
2024年、今年の方角”恵方”は「北東北」です。
毎年この季節になると、今年の方角はどこか気になりますよね。
恵方巻きの起源は、江戸時代にさかのぼるとされています。
起源には諸説あるといわれていますが、実は、恵方巻の起源は未だ明らかになっていないといわれています。
中でも代表的な説は、次の通りです。
江戸時代の関西の風習説商売繁盛願掛け説恵方参りと恵方巻の結びつき説江戸時代の花街遊郭の風習説
これらを順番に見ていきましょう。
江戸時代の関西の風習説
節分に巻き寿司を食べる習慣は、江戸時代の関西地域、特に大阪で商売繁盛を願って節分に縁起の良い太巻き寿司を食べる風習があったとされます。
これが恵方巻のルーツと考えられています。
節分の夜に縁起物として食され、その風習が現代の恵方巻に受け継がれています。
商売繁盛願掛け説
商店が商売繁盛を願うため、節分の日に太巻きを丸ごと食べるという習慣が、節分に商売繁盛を祈る業者の間で流行したとする説です。
特に大阪の問屋街を中心にこの風習が広まり、後に一般にも浸透していったとされています。
恵方参りと恵方巻の結びつき説
古来の正月行事の一つであった、元旦にその年の恵方にある神社に参拝する「恵方参り」という風習があります。
その風習が姿を変えて、節分の行事として恵方巻に結びついたという説もあります。
江戸時代の関西地方が起源?
諸説を見ていくと、「江戸時代頃に関西地方ではじまった風習」という線が濃厚であると思われますね。
ただし、どの説が正確なのかはっきりとはしていません。
地域ごとの風習や時代背景が混ざり合いながら、現代の恵方巻の習慣へと発展してきたと考えるのが妥当でしょう。
様々な習慣などが時代を経て変遷し、現代においては「節分の日に年の恵方を向いて黙々と太巻きを食べる」という形で定着したのではないでしょうか。
諸説ある「恵方」ってそもそも何?【恵方巻の由来】
恵方巻の「恵方」には、何を基準に決められているのか、どういった意味合いがあるのかという点でも、複数の説があります。
五行思想に基づく説陰陽道に基づく説現代における恵方の決定方法
これらを順番に見ていきましょう。
五行思想に基づく説
五行思想は、宇宙の生成・変化の原理を木、火、土、金、水の五つの元素で捉える中国の伝統的な哲学です。
この思想に基づき、節分の恵方は、歳徳神が宿るとされるその年の干支に対応する方角を指します。
例えば、昨年2023年の干支は「卯(うさぎ)年」でした。
五行思想において卯は木に関連し、その方位は東になるとされます。
このように、五行と干支を組み合わせて恵方が決められるわけです。
陰陽道に基づく説
陰陽道は、万物が陰陽のバランスで成り立っているとする日本の伝統的な信仰や思想体系です。
この陰陽道の概念に基づいた暦学において、恵方は「歳徳神」が居るとされる方位を指します。
歳徳神は、その年の幸運や縁起を司るとされ、節分にその神様のいる方位に向かって食事をすれば、福がもたらされるとされています。
現代における恵方の決定方法
現代においては、各種カレンダーやメディアがその年の恵方を発表しており、一般に広く認識されるようになっています。
国立天文台発表の暦(こよみ)などに基づいて、その年の恵方が定められます。
恵方は、「節分の日の太陽が沈む方角」に大まかに対応することもあると言われています。
上記の説をもとに、毎年特定の方角が恵方とされています。
それぞれの家庭や地域によって、恵方を知る方法や意味合いには差があるかもしれませんが、共通しているのは「縁起を担ぐ」という目的です。
欧米での「願い事をしながら星にお願いする」という行為に似て、日本独自の風習として楽しまれているのが恵方巻といえるでしょう。
配信: トクバイニュース