【闘病】子どもが大人になる姿を見たい。「乳がん」になった私が“恐怖”を乗り越えた方法

【闘病】子どもが大人になる姿を見たい。「乳がん」になった私が“恐怖”を乗り越えた方法

乳がんは女性の部位別がんで最も多いがん疾患であり、すべての女性が注意しなければなりません。乳がん検診を定期的に受診する中、次回の検診を待たずにしこりを発見し、病院で「乳がん」と診断された西田さん。「子どもが成長して大きくなった姿を見たい」という思いをモチベーションに、闘病期間を乗り越えられました。そこで西田さんに、手術や抗がん剤治療、自費でのリスク低減手術など詳しくお話を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年12月取材。

体験者プロフィール:
西田 久美子(仮称)

夫と子ども3人で暮らす50代の女性。2018年3月末頃の自己検診で、右胸にしこりを発見。近医を受診・検査して「乳がん」との診断を受けた。その後、大学病院での治療となり、4月に手術、5~11月まで抗がん剤治療や早期緩和ケアなども受け、現在はフルタイムで仕事をしている。

記事監修医師:
寺田 満雄(名古屋市立大学病院乳腺外科)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

母も乳がんだったことで、早期受診へとつながった

編集部

西田さんの乳がんが判明したきっかけを教えてください。

西田さん

2018年3月末頃、お風呂上りに自己検診していたら右胸にしこりを見つけました。私の母も乳がんだったため、普段から定期検診は受けていたのですが、ちょうど検診と検診の間のことでした。地域の小さなクリニックに予約が取れたので、翌週にマンモグラフィとエコー検査、針生検も受けて「乳がん」と確定しました。

編集部

医師からは乳がんについてどのような説明があったのでしょうか?

西田さん

そこのクリニックでは治療ができないため、大学病院を紹介されました。大学病院では「紡錘細胞がんという化生がんの可能性が示唆される、早急に治療に入る必要がある」と言われました。

編集部

「紡錘細胞がん」とは聞きなれない種類ですが、どのようながんなのでしょうか?

西田さん

「紡錘細胞がん」は化生がんに分類される珍しいタイプのがんで、進行が急速に進みやすいものです。化生がんは特殊型乳がんとも呼ばれていて、本来の細胞が持つ性質とは違った細胞に変化するそうです。全乳がんの1%未満に発生するとされて、通常の乳がんよりも急速に大きくなる危険性が高いといわれました。また、抗がん剤の効果が出にくいものが多いことに加え、肺や脳への転移も起こしやすいらしく、すぐに手術が必要になりました。

編集部

手術はいつ頃行われましたか?

西田さん

4月末頃に診断を受け、4月末には手術を行いました。大学病院を受診した翌日にCT検査で転移の有無を確認しました。抗がん剤が効かずに手術ができなくなる可能性もあったため、すぐに手術をすることになりました。

編集部

手術の結果、がんの詳しい状態はどのようなものだったのでしょうか?

西田さん

手術は右乳房全摘手術を行いました。乳がんはトリプルネガティブ(エストロゲン受容体陰性・プロゲステロン受容体陰性・HER2陰性)のステージ1でした。すべてが紡錘細胞がんではなく混合型で、幸いリンパ節転移もなかったことがわかりました。

編集部

抗がん剤治療は行ったのでしょうか?

西田さん

手術を終えて、5月から11月までFEC療法とwPTX療法(週1回のパクリタキセル投与療法)を行いました。並行して早期緩和ケアとして精神腫瘍科でのカウンセリングも受け、現在も定期的に受診しています。

編集部

その後、再発や転移などもなく経過されているのですね。

西田さん

3カ月ごとに経過観察を行っていますが、現在のところ再発・転移・新たながんの発生などはありません。ただ、がん治療は落ち着いているのですが、2021年には白内障手術を行いましたし、今は緑内障と高血圧の治療をしていて大変です。

子どもや仲間の存在が支えになることを実感

編集部

最初に病気が判明した時の心境についても教えてください。

西田さん

乳がんであることは覚悟していましたが、そこまで怖いタイプのがんだと思っていなかったためパニックになりました。「すぐ死んでしまうんじゃないか」と思うと、とにかく怖くてたまりませんでした。自分でも紡錘細胞がんについて調べ、その内容に絶望もしました。とにかく朝が来るのが怖くて、夜眠るのも怖かったことを憶えています。

編集部

西田さんは当時自費で遺伝子検査なども受けられたと伺っております。がんへの対策としてどのようなことをされたのでしょうか?

西田さん

私は抗がん剤治療の影響もあって「発熱性好中球減少症」で2回の入院を経験しました。それから少しでも生きられる可能性を求めて自費で遺伝学的検査を行ったところ、HBOC(遺伝性乳がん卵巣がん症候群)と診断されました。そのため、2019年3月にはがんの再発や新たながんのリスクを減らすため、卵巣・卵管・健側乳房同時リスク低減手術を自費で行いました。婦人科では半年ごとに経過観察を行っています。

※2020年4月からは、条件があえばHBOCの検査およびリスク低減乳房切除術やリスク低減卵管卵巣摘出術は保険診療で受けることができます。

編集部

病気が発覚してから治療期間中、生活に変化などはありましたか?

西田さん

当時は忙しく働いていたのですが、すぐに治療に入ったため仕事を休みました。職場に病気であることは伝えていたものの、ショックからそのことを話すのも嫌で家に閉じこもっていましたね。

編集部

気持ちが立ち直ったきっかけはありますか?

西田さん

まず、子どもたちが大人になる姿を見たいという気持ちです。私には子どもが3人いて、小学3年生、高校生と大学生です(罹患当時)。子どもたちのためにも「もう少し生きなくては」という思いで乗り越えられました。もう1つは、遺伝性乳がんや卵巣がんの仲間と出会ったことです。自分と同じ立場だからこそ、素直な話ができて、支え合うことができるのだと実感しました。

編集部

西田さんは現在、ご自身の経験を生かした取り組みもされているそうですね。

西田さん

自分が経験した恐怖は、ただ怖い病気として認識していた無知のせいだったと思っています。これから大きくなる子どもたちに、同じ思いはさせたくありません。もし自分や自分の大切な人ががんになった時にも慌てないよう、がんについて知ってもらう「がん教育」に少しずつ取り組んでいます。また、「今泣いている仲間がいたら話ができる場所を設けたい」と思い、月に1回がん当事者会を開催しています。

編集部

お仕事にも完全に復帰されたのでしょうか?

西田さん

今ではがんだったことを忘れる時間が増え、仕事はフルタイムで頑張っています。