「久しぶりに一緒にお風呂に入ろうか」不登校の高3息子に声をかけた母。その経験がもたらした“驚きの変化”とは

「久しぶりに一緒にお風呂に入ろうか」不登校の高3息子に声をかけた母。その経験がもたらした“驚きの変化”とは

子どもの自立は、親として誰もが願うものでしょう。しかし、子どもの自立を求める前に親として出来る最も大切なことがあるそうです。

児童精神科医の第一人者である佐々木正美先生は、半世紀以上にわたり、子どもの臨床にたずさわりながら、さまざまな親子に寄り添ってきました。

佐々木先生の著書『【新装版】抱きしめよう、わが子のぜんぶ』(大和出版)では、思春期を迎える前に今から知っておきたい子どもへの接し方について、さまざまな親子のエピソードとともに解説しています。

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今回は「子どもは依存と反抗を繰り返して自立する」より、一部抜粋してお届けします。

ときには思いきり甘やかしてあげよう

※画像はイメージです

母との入浴がきっかけで、不登校から立ち直った高3男子

ある県の中学校と高校の生徒指導の先生方の研修会で、講義を頼まれたことがあります。

講義が終り、控え室で帰り支度を急いでいると、ある高校の生徒指導の先生が飛び込んできました。

「先生、今日は目からウロコの思いだった」と、肯定的な感想を述べられたあと、「先生にぜひこの作文を読んでいただきたい」と、生徒の作文を出されました。

機会があったら読んでもらおうと思ってもってきた作文だ、とおっしゃいます。

その作文を書いたのは、長い間不登校だった高校3年生の男子生徒でした。彼はずっと不登校だったけれど、高校3年になってしばらくしたら学校にぽつんぽつんと来はじめた。

教員仲間では、「卒業が近づいてきたので卒業証書がほしいから無理して来ているんだろう、ずるい生徒だ」と話していたそうです。

その彼が書いた作文です。先生は私の講義を聞く前までは、この作文に対して、本当に不愉快でいやな思いがしていたそうです。

割合に長い作文で、ぜひ読んでほしいというところを、赤鉛筆で囲ってありました。おおむね次のような内容でした。

※画像はイメージです

「ぼくは、もう高校3年だ。1年の途中から不登校でずっと休んでいて、家族とも、もうひとことも口をきかない状態が長く続いていた。そんなある日、茶の間でテレビを観ながら、お茶を飲んでお菓子を食べていた。そうしたら、台所から、母がめずらしく話しかけてきた。久しくしゃべったことなかったのに。母は、『久しぶりに、いっしょにお風呂に入ろうか』といった。本当に驚いた。思ってもいないことを母が口にするので、ひどくとまどった。頭のなかが真っ白になって、頭がクラクラするような思いだった」

作文はさらに、こう続きます。

「だけど、しばらくして落ち着いてみたら、なんだかとてもうれしい気持ちになった。それで、『うん、入ろう』といって、母とお風呂に入った。そうしたら自分でもわからないんだけれど、それまで口もきかなかった母と話が弾んだ。自分でもその理由はわからない。お風呂から出てきても、まだ会話が続いた。そしてその翌日から母とだんだん話ができるようになった。そしたら学校へ行ってみようという気になった。そして、毎日は行けないけれど、少しずつ行けるようになった。ぼくにはそんな経験がある」

この作文を読んだ先生方は、とても不愉快な気持ちになったそうです。

「病的なやつだし、こんな病的な母親だから、登校拒否になってしまったんだ」と理解されていたようでした。

ところが、私の講演を聞いて、納得がいったというのですね。その日、私がお話したのは、「人は十分な依存を経験しなければ、自立することはできない」 ということでした。

前に申し上げたように、子どもにとっての「依存」とは、いいかえれば「甘え」です。つまり、十分な依存・甘えが、十分な自立につながるということです。

そんな私の話を聞いた先生は、「こういうことだったのかと思えて、目からウロコが落ちた思いだった」と、こういって来られたのです。

少年は、母親との入浴はそれ1回きりでしたが、それがきっかけで変わったといっているのですね。

たぶん彼は、幼少期に親に甘える体験が少なかったのでしょう。抱っこをしてもらったり、あやしてもらったりして、十分に甘えて安心できる充足感に欠けていたのではないかと思います。

その不足感がお母さんといっしょにお風呂に入ることをきっかけに変わり、親子で話をしたり食事をいっしょにしたりするなかで、改善されていったのでしょう。

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