「久しぶりに一緒にお風呂に入ろうか」不登校の高3息子に声をかけた母。その経験がもたらした“驚きの変化”とは

「久しぶりに一緒にお風呂に入ろうか」不登校の高3息子に声をかけた母。その経験がもたらした“驚きの変化”とは

依存できる相手を求め、体を売る少女

※画像はイメージです

そもそも人間は、自分がしっかりと受けとめてもらえているか、依存させてもらえるかどうかを確認したがります。それが前にお話しした思春期の「反抗」です。

親や教師のいうことに反発してみたり、無視してみたりするのは、全部「ぼく、わたしのことを本当に受け入れてくれるの?」という確認作業なのですね。

子どもは無意識のなかで、自然とそういう行動をとるものなのです。

「依存」と「反抗」。この2つを繰り返しながら、人は自立していくのです。

現在、深刻な問題となっている不登校やひきこもり、リストカットなども一種の「反抗」です。こうした問題行動をとることで、自分のことを保護してくれるかどうかを試しているのです。作文の少年も、学校に行かないことで「それでもぼくのことを受け入れてくれるの?」と確認していたのでしょう。

援助交際をしている少女が、こんなことをいったことがあります。

「いやなおじさんなんかが多いけど、ときに、やさしくしてくれたりしてうれしくなるような相手に恵まれることがあるんです。それでね、あるときからはそういうチャンスを心待ちにしてやっていたところがあった」と。

お金を得るためにやっているのだから、不愉快なことも我慢できるのだけれど、その一方でいい人に出会えることがあるというわけです。彼女には、ひたすら求めていたものがあったのです。そして、「そういう気持ちの子は、私だけじゃないと思う」ともいっていました。

彼女が求めていたのは、自分を保護してくれるような人だったのでしょう。

援助交際や売春をしている少女たちには、本当の保護者(依存できる相手)に恵まれなかったという欠落感があるのだと思います。

依存と反抗を繰り返しながら、子どもは自立していくのですが、その依存の部分が欠落していて、反抗だけが強い子どもは、やがて強い依存欲求をもちながら、健全でない反抗のかたち、つまり援助交際や、非行、薬物依存などのいびつな行動に走ってしまう危険を常にはらんでいるのです。

まとめ

「自立することを求める前に、

子どもが気がすむまで十分に依存(甘え)

させてあげることが大切です。

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この記事は、佐々木正美著『【新装版】抱きしめよう、わが子のぜんぶ』(大和出版)より一部抜粋・再編集したものです。

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