【闘病】「怠けているわけではない」“肢帯型筋ジストロフィー”で失われる体力との向き合い方

【闘病】「怠けているわけではない」“肢帯型筋ジストロフィー”で失われる体力との向き合い方

「肢帯型筋ジストロフィー」は肩や骨盤の筋肉に筋力低下を引き起こすもので、幼少期に発症することが多い疾患です。今回お話を聞いた土屋さんも、幼少期から運動に対する苦手意識があり、病気が発覚した後は体力の問題で退職を余儀なくされたそうです。土屋さんに病気の発覚から治療、現在のご様子までお聞きしました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年11月取材。

体験者プロフィール:
土屋 美果

1975年生まれ、北海道オホーツク地方在住。父、母、妹の4人家族。診断時の職業は事務職。幼い頃から走るのが遅く、運動全般が苦手でコンプレックスだった。高校を卒業後はホテルに就職したが、体力的についていけずに退職。以降は事務職に従事。29歳で肢帯型筋ジストロフィーと診断される。38歳でバリアフリーの公営住宅にて一人暮らしを始める。43歳で退職し、リハビリに専念。

記事監修医師:
村上 友太(東京予防クリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

仕事についていけなかったのは「怠けているから」ではなかった

編集部

病気が判明した経緯について教えてください。

土屋さん

21歳の頃、胃の不調を感じて病院を受診しました。その時の血液検査で、筋肉が壊れると高くなる「CPK」が異常値という結果が出たため、別の病院を紹介されました。その病院では膠原病の一種で「多発性筋炎」という病気の疑いと言われました。そこで検査入院をして筋生検をしましたが、所見が見られず確定診断には至りませんでした。

編集部

そこからどう過ごしましたか?

土屋さん

退院後は日常生活に戻り、数年は経過観察をしていましたが、手すりにつかまっても階段を上るのがきつくなりました。当時通っていた内科の医師から神経内科の病院を紹介され、再度検査をしてもらい、「肢帯型筋ジストロフィー」と診断されました。

編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

土屋さん

「筋ジストロフィーは進行性の病気で、型によって症状に特徴がある」と教えてもらいました。私の肢帯型は、体幹とお尻、太もも、肩、首周辺の筋力低下が著しいこと、進行のスピードは緩やかで、今のところ治療法はなく、適度なリハビリで筋力を維持していきましょうと説明を受けました。

編集部

病気が判明したときの心境について教えてください。

土屋さん

ずっと自分が怠けているからだと思いながら、いろいろなことが徐々にできなくなっていく不安を1人で抱えていました。病気だと判明して「仕方なかったんだ」という安堵感を一番先に感じました。

ヘルパーの支援のもと、一人暮らしをスタート

編集部

発症後、生活にどのような変化がありましたか?

土屋さん

病気だから仕方なかったと安堵したものの自分のせいにする癖は抜けず、症状の進行でさえ「頑張りが足りない」と責めてしまう自分がいました。それから、障害者手帳を発行してもらい、ソーシャルワーカーさんから障害者サービスについて説明を受けました。杖を購入したり、進行に伴って必要な福祉用具をリハビリの技士さんと相談して導入したり、相談できる方が一気に増えてとても心強くなりました。

編集部

一人暮らしも始められたそうですね。

土屋さん

はい。階段の多い実家での生活が厳しく、バリアフリーの公営住宅で一人暮らしを始めました。家事支援のヘルパーさんに来ていただいています。病気がわかる前は「人に迷惑をかけないように、なんでも自分でやらなければ!」と思っていたので、最初は人にお願いすることを後ろめたく感じていましたね。今は人を頼ることに慣れ、入浴介助もしてもらっています。リハビリは週に4回(訪問3回、通院1回)しています。動作全般に時間がかかるので、職場の方にいろいろ配慮してもらい仕事を続けていました。ですが、これ以上は体力的・精神的に辛く、悩んだ結果退職を決断しました。

編集部

闘病に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。

土屋さん

家族、友人、医療機関、福祉関係などたくさんの方々に相談できて助けてもらえることがとても心強いです。どんな状況になったとしても自分を責めないこと、自分が一番の理解者であることが何より大切だと感じます。

編集部

もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?

土屋さん

「あなたは悪くない、よくがんばっているね。我慢して隠さなくていいから、堂々としんどいから助けてって言っていいよ」と伝えたいです。

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