日本ゴルフツアー機構(JGTO)は24日、公式サイトを更新。男子ゴルフで国内歴代最多のツアー通算94勝(プロ通算113勝)を挙げたレジェンド、尾崎将司氏が23日に死去したと発表した。尾崎氏は、青木功、中嶋常幸とともに「AON」と呼ばれ、男子ゴルフ界を盛り上げた。
JGTOはこの日、サイトに「尾崎将司氏が23日の午後15時21分、S状結腸がんのため亡くなった。長男の智春氏が24日に公表された。享年78歳」と記載。約1年前に診断され、自宅で療養してきたことを明かした。
1970年に野球からゴルフに転向 ツアー通算94勝 55歳241日で史上最年長Vも
尾崎氏は、海南高(徳島、現海部高)のエースとして1964年の選抜高校野球大会で優勝。プロ野球、西鉄ライオンズ(現・西武)に入団したが3年で退団。その後、70年にゴルフの道へ進み、同年にプロに転向した。71年の日本プロ選手権で初優勝すると、圧倒的な強さで国内ツアーで94勝を挙げた。最後までレギュラーツアー出場にこだわり、2002年の全日空オープンでは、55歳241日のツアー最年長優勝記録を樹立。13年のつるやオープンでは、62で回り、レギュラーツアーでは史上初めて(自身の年齢以下のスコアでホールアウトする)エージシュートを達成した。
驚異的な強さと豪快なプレースタイルから「ジャンボ尾崎」の愛称でファンに愛され、さらに弟の健夫、直道もゴルファーとして活躍したため「尾崎三兄弟」とも呼ばれた。19年までツアーに挑戦し続けたが、晩年は男女ジュニアの育成に尽力し、女子ゴルフでは原英莉花、西郷真央、笹生優花、佐久間朱莉らを育てた。
優作 初めて同じ組み合わせに「緊張して寝れませんでした」 悩んだときは相談
女子ゴルフで世界ランク1位に輝いた宮里藍さんは、自身のインスタグラムのストーリーズに「ゴルフ界にとって大きな大きな存在を失いました。小さい頃中継で溢れんばかりのギャラリーを連れて何度も何度も優勝されていたシーンを今でも覚えています。どれだけのゴルファーが憧れたのでしょう」と偉業を称えた。さらに「男女共、今を輝く素晴らしい選手達を育成し、兄達から聞く話も大好きでした。本当に寂しいです。ジャンボさん、またお会いしたかったです。 心よりご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。
また兄の優作もインスタグラムにジャンボがスイングした写真を添えながら「僕がデビューした頃、オーラが凄く現役バリバリだったのを思い出します。小さい頃から憧れてたジャンボさんと同じ組み合わせになった時は、緊張して夜寝れませんでした」と尾崎氏との思い出を回想。「一見怖くて話しかけづらく見えますが、悩んでる事を相談すると『打ってみろ』と言って練習を見てくれる本当に熱い方でした。災害などが起きた時に真っ先にチャリティー活動しなさいと言ってくれるのがジャンボさんでした」と秘話を明かした。
日本のゴルフ界に多大なる功績や強固な基盤を作った尾崎氏に感謝をつづった優作は「その基盤のお陰で僕らは立つ事ができてます。もっと色々な話しや相談をしたかったです」と突然の別れを惜しんだ。最後は「ジャンボさんとプレーした事、一緒に過ごしてきた事は、先輩プロの皆様に比べれば短いですが、次の世代にジャンボさんの事を語り継ぐ事が、僕達の使命だと思います。ジャンボさん…ありがとうございました」とゴルフ界発展のために、遺志を受け継ぐことを約束し、コメントを結んだ。

