風刺画の起源
それでは、風刺画はいつ頃から始まったのでしょうか。現代的な意味での風刺画が確立されたのは、16世紀末のイタリアだといわれています。
ボローニャで活動していたカラッチ一族、特にアンニーバレ・カラッチ(1560-1609)とその兄アゴスティーノ・カラッチ(1557-1602)、従兄弟のルドヴィーコ・カラッチ(1555-1619)が、風刺画の技法を作り上げた人物として知られています。彼らは真面目な絵画制作の合間に、人々の特徴を誇張した肖像画を描いていました。
アンニバレ・カラッチ、風刺画集、ロンドン、大英博物館, Public domain, via Wikimedia Commons.
これを「ritrattini carichi(積み込まれた小さな肖像)」と呼んでいました。この「caricare」という言葉が「荷を積む」「誇張する」という意味で、ここから英語の「caricature(カリカチュア)」という言葉が生まれたといわれています。ただし、この時点ではまだ私的な楽しみの範囲で、政治的な批判や社会風刺には使われていませんでした。
イギリスで花開いた政治風刺
風刺画が本格的に政治の武器となったのは、18世紀のイギリスでした。当時のイギリスは言論の自由が比較的認められており、出版業も盛んでした。
放蕩者の成り行き、第7版, Public domain, via Wikimedia Commons.
ウィリアム・ホガース(1697-1764)は、風刺画を芸術として確立した人物です。彼の代表作《A Rake's Progress》(放蕩者の成り行き)(1732-1734)は、若い男性が遺産相続後に贅沢な生活に溺れて破滅していく様子を8枚の絵で描いた連作です。賭博場、娼館、債務者監獄、最後には精神病院と、当時のロンドン社会の暗部を容赦なく描き出しました。
ホガースは自分の作品を「現代の道徳的主題」と呼び、ただ笑わせるだけではなく、社会の問題点を指摘して考えさせることを目指していました。彼は銅版画として作品を大量に複製して販売していましたが、当時は著作権の概念が曖昧で海賊版が横行していました。そこで議会に働きかけ、1735年に版画の著作権を保護する法律を成立させました。
ホガースに続いて登場したのが、ジェームズ・ギルレイ(1756-1815)です。「政治風刺画の父」とも呼ばれる彼は、国王、ナポレオン、首相など、権力者たちを容赦なく嘲笑しました。
風刺画, plumpudding, Public domain, via Wikimedia Commons.
最も有名な作品が《The Plumb-pudding in danger》(危機に瀕したプラムプディング, 1805)です。イギリスの首相ウィリアム・ピットとフランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトが、地球儀の形をした巨大なプディングを切り分けている様子が描かれています。帝国主義的な野心を持つ両国の指導者の貪欲さを見事に表現しており、「史上最も有名な政治風刺画」とも評されています。
ギルレイはナポレオンを「Little Boney(小さなボニー)」というキャラクターで描き続けました。極端に小柄で鼻が尖った人物として描かれたこのイメージがあまりにも強烈で、今でもナポレオンといえば背が低いというイメージが定着していますが、実際には当時の平均的な身長だったといわれています。晩年のナポレオン自身が「ギルレイの風刺画は12人の将軍よりも私にダメージを与えた」と認めたという逸話も残っています。
