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庶民が切迫感を抱いたのは空襲が始まってから|五木寛之,佐藤優

庶民が切迫感を抱いたのは空襲が始まってから|五木寛之,佐藤優

西洋思想に抵抗した知識人が大東亜戦争を「聖戦」にした

五木  明治のころまで、日本の庶民の頭の中には「国体」という概念がほとんどなかったと僕は思うんですよ。それが大正から昭和にかけて一般庶民のあいだにも広がっていったのは、やはり当時の知識人たちの役割がとても大きかったと思うんだけど。

知識人たちが本居宣長や平田篤胤を読み、そこから日本の国体化が民衆のあいだに広がっていったのが大正、昭和だと思います。戦前・戦中の日本人はけっこう読書家だったから、西田幾多郎や三木清()(1897年~1945年、哲学者・評論家)の哲学なんかを若い学生たちも一生懸命に読んでいました。

うちの父親なんかも、そういう変化の一翼を担っていたんでしょうね。そういう東西の哲学を総合することで自分たちの新しい思想を生みたいという高揚感が、昭和の知識人にはありました。「いま自分たちは、新しい思想の時代に直面している」という意識は、独特のものだったと思いますね。

もちろん、一方では在郷軍人会の役員たちが全国津々浦々で講演して、軍国主義的な思想を鼓吹()していました。でもそれとは別のところで、知識人たちが大きな影響力を発揮していた。軍に強制されたわけではなく、「自分たちは西洋思想に対抗して、アジアにおける日本人の独立したアイデンティティを確立するんだ」といった気概が、そこに結集していたと思うんです。そういう潮流を、末端の庶民に近いところでは吉川英治()(1892年~1962年)などの作家たちが担うわけですが、最上流にあった京都学派の影響もすごく大きい。

佐藤   おっしゃるとおり京都学派の影響は大きいですね。ただし竹馬に乗って地に足のつかない議論をくり広げた挙げ句に、大風呂敷を広げすぎた感は否めませんが。

五木   日本人としての自意識を高めるような思想を追求していく中で、アイデンティティの象徴としての天皇家も、存在感を高めていったわけです。大東亜戦争を聖戦として位置づける上でも、彼らの思想が不可欠だったと思います。

佐藤  それはそうですね。

五木  軍人たちは軍人たちで、大正デモクラシーの時代に軍隊が世間から軽んじられていたことへの反発心から、昭和になると新しい軍国主義を鼓吹しました。でも、それだけでは国民は動かなかったでしょう。知識人たちが思想的にリードしたのが、すごく大きかったんじゃないかという気がしています。

佐藤  それを、さらにマスコミが煽り立てた。

 

※次回は4月18日(土)公開予定です。

配信元: 幻冬舎plus

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