親の協力あってこその習い事。もちろん親は支えたい一心で、できるだけサポートします。でも、それを当然だと思われ、浴びせられた高学年女子の冷たい言葉とは……? 筆者の友人が体験談を語ってくれました。
暗い校庭で設営作業
息子の陸上クラブでは、夜間の練習に欠かせない照明設営が保護者の役割。
照明の準備は保護者有志によるボランティアで、その日に都合がつく人が協力して行う形でした。
そのため親の負担は少ないものの、気の利く人や毎度同じ人が作業することになるのは欠点でもあります。
気の利く人に偏る負担
その日は私以外の保護者が不在で、皆お子さんを降ろすとすぐに去ってしまいました。
そのため、私は暗い校庭で重い機材を運び、1人で設営を始めました。
そこに息子とそのお友だちがやってきたので「ここ、少し押さえててくれる?」と手助けを頼んだのです。
2人が手伝い始めたそのとき、年上の6年生の女の子が声を上げました。
「照明の準備はそこにいる親がやるからいい! 私たちは練習始めるよ!」
私はその言葉にショックを受けました。
準備をしてくれる大人への敬意はまるでなく、単なる「役割分担」という以上の、突き放すような冷たさを感じたからです。
自分たちが走れる環境は、誰かが時間を割き、手を貸すことで成り立っている。
その想像力が、女の子の中では欠落していたのです。

