日本サッカー協会は15日、東京都内のホテルで記者会見を行い、W杯北中米大会(6月11日=日本時間同12日開幕)に臨む日本代表メンバー26人を発表した。日本中が固唾をのんで見守る中、三笘薫(ブライトン)の名前は最後まで呼ばれなかった。
森保一監督は「今大会の大会期間中に復帰は難しいと報告を聞いて、今回の招集を断念した」と語り、所属先のブライトンと三笘の状態について連絡を取り合った上で苦渋の判断を下したと明かした。
一方で、今年2月に左足首のリスフラン靭帯を負傷し手術を受けた遠藤航(リバプール)については、すでにボールを使った練習を再開しており、「試合に出られるまで上げてきている。プレーできることをメディカル(スタッフ)が確認した」とメンバーに加えた。
苦渋の決断 明暗が分かれたケガ人たちの選考
会見場が重苦しい沈黙に支配された。指揮官の口から読み上げられる26人のリストに、日本が誇る絶対的エースの名前はなかった。
W杯の登録枠が26人に拡大されたとはいえ、今大会は移動距離も長く酷暑も予想される過酷な環境だ。遠藤が驚異的な回復を見せてギリギリで滑り込んだのとは対照的に、三笘は大会期間中の復帰が困難と判断され、容赦なく迫る「タイムリミット」に屈する形となった。
4年に1度の夢舞台を巡る過酷なサバイバルにおいて、これまでも多くのスター選手が直前で涙を飲んできた。日本中が深い喪失感に包まれる中、列島を揺るがした過去のW杯における「悲劇の落選」を振り返る。
三浦知良、北澤豪(1998年フランス大会)/ニヨンの悲劇
日本サッカー史上、最も人々の記憶に刻まれている落選劇といえば、初出場を果たした1998年フランス大会直前の「ニヨンの悲劇」だろう。
スイスのニヨンで行われた直前合宿。本大会登録メンバー22人の発表で、岡田武史監督(当時)は「外れるのはカズ、三浦カズ、北澤、市川」と告げた。日本を悲願のW杯初出場へと導いた最大の功労者であり、絶対的な精神的支柱であった三浦知良の落選は、日本社会全体に計り知れないほどの衝撃を与えた。
中村俊輔(2002年日韓大会)/トルシエ監督のシステムに合わず
自国開催で列島が熱狂に包まれた2002年日韓大会。ここで涙を飲んだのが、当時すでに日本屈指の司令塔として輝きを放っていた中村俊輔だ。
直前の親善試合にも出場し、背番号「10」を背負ってW杯のピッチに立つと誰もが信じていたが、フィジカルと組織的な連動を重んじるフィリップ・トルシエ監督の戦術において、守備面やシステムとの親和性を理由に無念の選外に。代わりに選ばれた中山雅史や秋田豊らベテラン勢の歓喜の裏で、若き天才レフティーは大きな挫折を味わった。
久保竜彦(2006年ドイツ大会)/ケガに泣いた未完の大器
今回の三笘の状況と最も重なるのが、2006年ドイツ大会におけるストライカー・久保竜彦のケースだ。
圧倒的な身体能力と予測不能なシュートセンスで、ジーコ監督から絶大な信頼を得ていた久保。しかし、持病の腰痛や度重なるケガに苦しみ、コンディション調整が難航した。指揮官は直前まで回復を待ったものの、最終的に招集を見送る決断を下した。
香川真司(2010年南アフリカ大会)/若き至宝への非情な通告
セレッソ大阪でゴールを量産し、ドイツの名門ドルトムントへの移籍が決まるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いだった21歳の香川真司。しかし、岡田武史監督が選んだ23人のリストにその名はなかった。
選ばれたのは中村俊輔や本田圭佑ら実績のある選手たち。香川は試合に出場できない「サポートメンバー」として帯同することになり、スタンドからチームの快進撃を見つめるという屈辱を味わった。
細貝萌(2014年ブラジル大会)/予選の功労者がまさかの選外
アルベルト・ザッケローニ監督体制において、中盤のダイナモとしてアジア最終予選を戦い抜き、本大会出場に大きく貢献した細貝萌(当時ヘルタ・ベルリン)。
ドイツ・ブンデスリーガでもレギュラーとして活躍しており、選出は確実と見られていたが、まさかの落選。指揮官は青山敏弘や山口蛍らを重用し、長年チームを支えた裏方的な功労者を切り捨てる冷徹な決断を下した。
井手口陽介、浅野拓磨(2018年ロシア大会)/予選突破の立役者が涙
2016年のリオ五輪世代であり、次代の日本代表を担う存在として期待されていた井手口陽介と浅野拓磨。2017年8月のアジア最終予選の大一番オーストラリア戦では、この両者がゴールを決め、日本をW杯出場へと導く立役者となった。
しかし、大会直前のハリルホジッチ監督解任劇と、西野朗監督の就任という激動の中、所属クラブで出場機会を失っていた両者は本大会のメンバーから落選。W杯への切符をもぎ取った英雄であり、期待の五輪組が本番のピッチに立てないという、サッカーの残酷さを示す出来事となった。
大迫勇也、原口元気(2022年カタール大会)/森保監督の冷徹な天秤
記憶に新しい前回大会でも、激震は走った。森保一監督の発足当初からチームの屋台骨を支え、アジア最終予選の突破に多大な貢献を果たした大迫勇也と原口元気が、まさかの選外となった。
大迫はコンディション不良、原口は戦術的な理由とされた。長年チームを牽引してきた両ベテランを切り捨てたこの決断は、森保監督が「過去の実績」ではなく、「現在のコンディションと大会を勝ち抜くためのバランス」を優先することの証明だった。

