「公共Wi-Fiを切ってアカウントの乗っ取りを防ぎ、寿司や浮世絵などのオフラインコンテンツを充実させた」――。あるXユーザーが18日、米国人同僚との会話で江戸時代の鎖国についてこのような例えが返ってきたと投稿した。「めちゃくちゃわかりやすい例え」「腑に落ちた」「座布団あげといて下さい」と共感が広まり、Xには歴史的な深掘りと現代への気づきが広がった。
「出島はVPN、それともバグか脆弱性か」
比喩は即座に拡張され、Xには
「Wi-Fi切ったらローカルエリアネットワーク(LAN)にも繋げないでしょ!ワイドエリアネットワーク(WAN)を切断してLAN(身内)で浮世絵とかデータ共有して遊んでたんだよ!」
との正確な比喩を求める声もあったが、
「『公共Wi-Fi切ってアカの乗っ取りを防いだ』って話は凄く腑に落ちましたので、何処かで是非使わせていただきたいですw」
「出島とかがVPNみたいなもんかw」
といった反応が続出した。
また、「出島はバグか脆弱性か…」 とのツッコミには、投稿者本人が「識者によるとあれはVPNのようです」とフォローすると、
「意図的に設置しているので、DMZかハニーポットですかね…」
「布教をしなかったオランダはファイヤーウォールを通過できました」
とさらなる考察が寄せられた。
「さらに昔にも(植民地チャレンジとは違うが)遣唐使廃止→国風文化があった」と古代の外交政策との関連性の指摘もあったように、オフライン化による文化の内発的充実は江戸時代に限った話でもないという気づきも上がった。
歴史的事実で検証すると「意外とガチ」?
では実際のところ、鎖国とVPN・出島の比喩はどこまで歴史的事実と重なるのか。
幕府がキリスト教禁止令を発令したのは慶長17年(1612年)で、宣教師の追放・棄教の強要・残酷な処刑といった取り締まりが次第に強化された。「アカウント乗っ取り」に相当するのは、宣教師を通じたキリスト教の布教による民衆の組織化と、それが大名の権力基盤を揺るがしかねないという幕府の警戒心だ。実際、天文18年(1549年)から寛永7年(1630年)までの約80年間でキリスト教に改宗した人は約76万人に達したとされる。
「Wi-Fiをオフ」にする本格的な措置として機能したのが、寛永13年(1636年)に完成した出島だ。長崎の25人の豪商が共同出資で築いたこの人工島は、キリスト教の布教を阻止するために市内に雑居していたポルトガル人を収容する目的でつくられた。ポルトガル人を追放した後の寛永18年(1641年)には、平戸からオランダ商館が移転。以後、安政の開国までの約218年間、出島は西欧に開かれた唯一の窓として機能した。
「VPN」としての出島が精巧だったのは、その情報管理の仕組みにある。幕府はオランダ人に対し、宣教師の潜入やポルトガル人などの動向に関する情報提供を義務づけた。オランダ船が入港すると通詞(つうじ、通訳)が商館長を訪れて情報を聞き取り、翻訳・署名・捺印のうえ長崎奉行経由で江戸に送られた。この文書は「オランダ風説書」と呼ばれ、幕府は西欧情報を選別した形で受け取り続けた。接続先は一つに絞り、しかも送受信ログを管理していた――という意味では確かにVPNの比喩は当てはまると言えなくもない。
「蘭学者」は何にあたるのか
Xでは蘭学者の存在を指摘する声も上がった。
「蘭学者と蘭癖といわれた西洋マニアの存在を教えてあげてもいいかもしれません。コーヒーやワインを振る舞いドヤ顔。中にはエレキテルで有名な発明家の平賀源内 解体新書ターヘル・アナトミア翻訳 杉田玄白、前野良沢 独力で写真機作った上野彦馬 松下村塾 シーボルト塾とか」
「鎖国時代でもオランダと関わっていたため、オランダがネーデルランドとなっても日本はオランダと呼んでいいとされた事とかも」
「輸入した本での分析により、出島のオランダ人にお宅の国、今ないでしょ?(ナポレオンの支配)ってツッコんだ話好き」
オフラインでありながら、出島経由で流れ込むオランダ語の書物を独学で読み解いた蘭学者たちは、まさに「キャッシュに保存したコンテンツを解析するエンジニア」のような存在だったともいえる。
「鎖国を“オフラインモードで文化育成してた時代“って訳すの、現代すぎて好き」
「外を遮断したからこそ、内側であれだけ豊かな文化が花開いたんだろうね」
「面白い視点ですね。今思うと正にその通りで、その間に日本人の文化面は、植民地にされた他のアジア諸国と違って、成熟したんですね」
米国人同僚との会話から生まれたこの比喩は、歴史的事実と照らし合わせると、単なるジョークにとどまらない精度を持っていそうだ。「吹き出しました、素晴らしい例えですね」という声が示すように、わかりやすい比喩が歴史を身近にする力は、現代語でも江戸語でも変わらないのかもしれない。

