「……ねえ、お母さん」
「うん?」
「陽翔くんがさ」
その名前を聞いて、私は思わず手を止めた。
悠真がぽつりと言う。
「最近ね、僕と仲良くしない方がいいって言われたんだって」
「……え?」
耳を疑った。
「誰に?」
「お母さんに」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「それでね」
悠真は困った顔をして続けた。
「仲良くできないって言われた。なんか、前みたいに話してくれなくなったの」
声が小さくなる。
「今日もさ、休み時間に話しかけたら……」
悠真は目を伏せた。
「ごめんって言われた」
私は何も言えなかった。
藤川さんが、陽翔くんに言ったんだろうか。
──「仲良くしない方がいい」
その言葉が頭の中で響く。
大人同士の問題だったはずなのに、それが子どもたちにまで影響しているなんて。
「……悠真」
私はそっと声をかけた。
「陽翔くん、何か理由言ってた?」
悠真は首を横に振る。
「分かんない」
そして、小さく言った。
「僕、何かしたのかな……?」
その言葉に、胸が痛くなった。
「そんなことないよ」
私は急いで言った。
「悠真は何も悪くない」
でも、心の中では分かっていた。
原因は親の問題だって。
息子の悲しそうな表情
真帆の夫が建築士だとわかると、「図面を見て欲しい」と気軽に頼んできた美咲。丁重にお断りしますが、美咲は納得できなかったのでしょう。今度は、子ども同士の関係にまで口を挟んできたようです。
親のトラブルで巻き込まれた子どもたち、本当に気の毒です。夫に相談し、今度の運動会で夫が直接、美咲と話すと決めます。そして…。
「ご依頼、お待ちしております!」夫の完全勝利
「そういえば、真帆から聞きました」
「え?」
「リフォームの図面の件」
その言葉に、藤川さんの表情が少し変わった。
でもすぐに、ぱっと明るい顔になる。
「ああ、あれ!」
「はい」
「ちょっと見てもらえたら嬉しいなって思って」
急に愛想よく話し始める。
「プロの意見って聞いてみたいじゃないですか」
恒一はゆっくりうなずいた。
「そうですね」
そして、落ち着いた声で続ける。
「ただ、ああいう図面の相談って」
藤川さんが身を乗り出す。
「はい」
「基本的には、リフォーム業者さんとしっかり話し合うのが一番なんです」
「……え?」
「現場の状況とか、構造とか、いろんな情報を踏まえて判断するものなので」
恒一は笑顔でていねいに説明した。
「図面だけを見て『大丈夫です』って言うのは、正直難しいんですよねえ」
藤川さんの笑顔が、少し引きつる。
「そ、そうなんですね」
「もし相談を受けるとしたら」
恒一は続けた。
「ちゃんと内容を把握して、責任を持って考えたいんです」
その言葉は穏やかだった。
でも、とてもはっきりしていた。
「なので」
恒一は軽く笑う。
「その場合は、きちんと仕事として契約してからになりますね」
一瞬、沈黙が流れた。
藤川さんの口が少し開く。
「け、契約……?」
その横で、今まで黙っていた藤川さんの夫が口を開いた。
「そりゃそうですよね〜」
「え?」
藤川さんが振り向く。
「プロに相談するんだからさ、ちゃんと仕事として頼まないと」
藤川さんのご主人があっさりそう言った。
「でも……」
藤川さんは言葉を詰まらせる。
恒一は変わらず穏やかな顔をしていた。
「もちろん、業者さんと話してみて、それでも別の意見を聞きたい場合は」
「……」
「そのときは、ご依頼お待ちしています!」
とても感じのいい口調だった。でも、逃げ道はない。
藤川さんはちらっと周りを見た。
近くにいた保護者たちも、何となくこちらを見ている。
「……」
一瞬、何か言おうとした。
けれど──
「じゃ、じゃあ」
ぎこちなく笑う。
「また機会があったら」
そう言うと、藤川さんは急いで言った。
「陽翔、行くよ!」
「え?」
「ほら、お父さんも!」
半ば強引に家族を連れて、その場を離れていった。
その背中を見送りながら、私はぽかんとしていた。
「……すごい」
思わずつぶやく。
恒一が首をかしげた。
「そう?」
「うん」
私は小さく笑った。それを見て恒一も笑った。
「本当のことを言っただけだよ」
運動会という、人目がある場所を選んで大正解でしたね。完全に論破された美咲は、何も言い返せないまま、そそくさとその場を立ち去ります。
そして、さっそく子ども同士の関係にも変化が訪れます。

