その日の夜。私はスマホを手に取った。
少し迷ってから、香織に電話をかける。
数回のコールのあと、香織が出た。
「なに?」
少し不機嫌そうな声だった。
「突然ごめん」
私は言った。
「この前のこと、ちょっと話したくて」
「この前?」
「うちに来たときのこと」
少し沈黙が流れる。
私はゆっくり話し始めた。
「私も、蓮くんにいきなり注意しちゃって」
「……」
「香織に配慮が足りなかったかもしれない」
正直な気持ちだった。
「そこは、ごめん」
そう言ったあと、続ける。
「でも」
「……なに?」
「蒼を突き飛ばしたこととか」
私は言葉を選びながら言った。
「マットを壊したこととか」
「……」
「そのあと、ちゃんと謝ってほしかったなって思って」
電話の向こうが、静かになる。
そして、香織が言った。
「は?」
その声は、明らかに怒っていた。
「なにそれ」
「え?」
「結局、私の育て方が悪いって言いたいわけ?」
「違う、そうじゃなくて──」
「結衣さ」
香織の声が鋭くなる。
「いつもそうだよね」
「……?」
「正しいこと言ってるつもりなんだろうけど」
私は言葉を失った。
「蒼はいい子」
香織が続ける。
「結衣はいいお母さん」
皮肉っぽい声だった。
「そう思ってるんでしょ?」
「そんなこと──」
「もういい」
香織は言い切った。
「そうやって人の子どもに口出しするくらいなら」
「……」
「もう会わなくていいよ」
プツッ。
通話が切れた。
私はスマホを見つめたまま動けなかった。
(なんで……)
ただ、話し合いたかっただけなのに。分かり合えると思っていたのに──
胸の奥が、どっと疲れる。蒼が横から声をかけてきた。
「おかあさん?」
私は慌てて笑顔を作る。
「うん、大丈夫」
でも、心の中では、はっきり思っていた。
(もう……)
香織との関係に、私はすっかり疲れてしまっていた。
姉の拒絶と、わかり合えない苦しさ
歩み寄るために電話をかけたのに、一方的に言い返され、話が成立しませんでした。妹の言葉は、姉には届かないようです。
実の姉とはいえ、話が通じない相手との関係は、疲れますね。そして結衣も、姉に対する考えが少しずつ変わります。
自分のため、息子のために…
代わりに、私は考えるようになっていた。
香織はどういう人なのか。自分はどうしたいのか。
そして──蒼にとって、何が一番いいのか。
母の言葉も思い出す。
──「子育てってね、視野が狭くなることもあるのよ」
拓也さんの言葉も。
──「蓮のことになると、ムキになっちゃうんだ」
香織なりに、一生懸命なのかもしれない──そう思うこともあった。
でも──それでも、蒼が傷つくのは、嫌だった。
私は自分の子育てを大事にしたい。
蒼に「人に優しくしようね」と教えるなら、私自身も、その姿を見せたい。
そのためには、無理をしないことも必要なのかもしれない。
ある日、ふと気づいた。
私はもう、香織に「分かってほしい」と思っていなかった。
代わりに思うようになっていた。
(私たちは、違うんだ)
子育ての考え方も、大事にしているものも、きっと違う。
だから、無理に同じ方向を向こうとしなくてもいい。
そんなふうに思い始めていた。
同じ姉妹でも、価値観は違うものです。ムリに押しつけたり、相手に変わってもらおうと説得しても、疲れてしまうだけ。
自分が大切にしている子育ての価値観と息子を守るために、結衣は姉と距離を置くことを決めます。

