「安全に乗車する権利がありますので」
「痛みで頭にきた私は、気がつくとスマホを取り出していたんですよね」感情に任せて言い返すのではなく、静かに「今の行為も含めて、記録させていただきますね」そう淡々と告げると、おじさんの表情が一瞬だけ崩れました。
続いておじさんは「は?」と眉をひそめましたが、美沙さんは「こちらとしても、安全に乗車する権利がありますので」と一切引かなかったそう。おじさんは「記録ってなんだよ? 勝手に撮るんじゃねーよ」と声を荒らげながら、スマホをさえぎるように手をかざしてきましたが、その動きには明らかな動揺が感じられました。
「私は『映像と音声です。このまま続くようでしたら、駅員さんにそのまま提出します』とハッキリ伝えながらも撮影する手を止めませんでした」
黙っていた人たちが、次々に声を上げてくれた
その瞬間、張り詰めていた空気が別の形で動き出します。隣の女性が「私も見ていました」と声を上げたそう。「すると後方から誰かが『さっきから一方的でしたよね』、さらに別の誰かが『必要なら僕が証言しますよ』と、次々に言ってくれて……気づけば、何人もの人が私の背中を支えてくれていたんですよ」
沈黙していた車内に、確かな味方の気配が広がっていきます。
「そしたら、おじさんの視線が泳ぎ始め『大袈裟なんだよお前ら、別にたいしたことじゃねーだろ』と声は急に小さくなり、言葉もどこか言い訳がましくなってきて」
それでも美沙さんはスマホを下ろさず「念のため、このまま記録は続けます」とキッパリと言い切りました。
やがて次の駅に電車が滑り込み、ドアが開いた瞬間。おじさんは何も言わず、人をかき分けて逃げるように降りていったそう。
「その背中を見送りながら、やっと肩の力が抜けていくのを感じましたね」
張りつめていた緊張が解けた車内には、先ほどまでとは違う柔らかな空気が戻っていました。
「すると真っ先に声を上げてくれた女性が「大丈夫でしたか?」と優しく声をかけてくれて。周りの人たちからも温かいアイコンタクトを感じ、ようやくホッとすることができたんですよ」
「見ず知らずの人たちが、あんな風に私を救ってくれたことが本当に心強かったんですよね。あの時の感謝はずっと忘れません」と微笑む美沙さんなのでした。
<文・イラスト/鈴木詩子>
【鈴木詩子】
漫画家。『アックス』や奥様向け実話漫画誌を中心に活動中。好きなプロレスラーは棚橋弘至。著書『女ヒエラルキー底辺少女』(青林工藝舎)が映画化。Twitter:@skippop

