親も被害者である
とはいえ、私は親を一方的に責めるつもりはない。親もまた、この世界に生まれさせられた被害者だからだ。
親だって、自分の意志で生まれてきたわけではない。親の親、つまり祖父母の都合で存在させられた。そして、この社会の中で育ち、「子どもを持つのが当たり前」「結婚したら子どもを作るもの」という価値観を刷り込まれてきた。少子化が問題だと言われ、子どもを産むことが奨励される社会の中で、子どもを作らないという選択をするには、相当な意志の力が必要だ。
以前私は、「人はいずれ死ぬのに、なぜ生きなければならないのか?」という論考の中で、こう書いた。「子どもを作った人個人に全ての責任を帰すことが常に正当であるわけではなく、社会的に避けがたかった部分があれば、それについてはいくぶんか免責されてよい」。社会が出生を奨励する中で、親個人だけを責めることには限界がある。
だから、親を恨んで自分の苦痛を増やすのは得策ではない。恨みは恨む側を蝕む。親のことを考えるたびに怒りや悲しみを感じるのは、自分自身を傷つけることになる。親がひどい人間だったとしても、その事実を変えることはできない。変えられないことに怒り続けるのは、エネルギーの無駄遣いだ。
親の「行動」は責めていい
ただし、これは親の行動をすべて許せという話ではない。産んだこと自体を責めるのは筋が悪いが、産んだ後の行動については、親は責任を負うべきだ。
厚労省の統計(福祉行政報告例)によれば、2023年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待相談件数は約22万5000件で、過去最多を更新した。この数字は氷山の一角に過ぎない。相談に至らないケースは、その何倍もあるだろう。身体的虐待、心理的虐待、ネグレクト、性的虐待。子どもに対する暴力は、残念ながら珍しいことではない。
虐待する親は、明確に責められるべきだ。子どもを存在させた以上、親にはその子どもを適切に養育する義務がある。その義務を果たさないどころか、子どもを傷つけるような親は、非難されて当然だ。
虐待は連鎖すると言われることがある。虐待を受けて育った人が、自分の子どもを虐待してしまうというパターンだ。確かにそのような傾向はあるかもしれない。しかし、だからといって虐待が許されるわけではない。自分が受けた苦しみを、なぜ次の世代に引き継ぐのか。連鎖を断ち切る責任は、大人の側にある。「自分も虐待されて育ったから」という言い訳は通用しない。
虐待とまではいかなくても、子どもを精神的に追い詰める親はいる。過度な期待をかける、他の姉妹や兄弟と比較する、人格を否定するような言葉を浴びせる、子どもの意見を一切聞かない、子どもの進路や人生の選択に過剰に介入する。こうした行動も、子どもに深刻なダメージを与える。「あなたのためを思って」という言葉で正当化されることが多いが、子どもを傷つけている事実は変わらない。
「毒親」という言葉がある。子どもの人生に悪影響を与える親のことを指す。身体的な虐待だけでなく、過干渉、無関心、精神的な支配、経済的な搾取など、さまざまな形態がある。自分の親が「毒親」だと気づくことは、子どもにとって辛い経験だ。しかし、気づくことが回復への第一歩でもある。
そのような親からは、物理的に離れることを勧める。同じ空間にいる限り、傷つけられ続ける。逃げることは恥ではない。自分を守るための正当な行動だ。未成年で自力で逃げられない場合は、児童相談所や警察、学校の相談窓口など、頼れる場所を探してほしい。成人しているなら、家を出ることを真剣に考えるべきだ。経済的な理由で難しい場合もあるだろうが、自分の心身の健康を守ることを最優先にしてほしいと思う。

