母と私
母と私には、血の繋がりがない。
7年前、娘が産まれて疎遠だった父に連絡をして再会し、そのタイミングで母と出会った。実の母親、姉とも疎遠の私は、家族の温もりや、絆のようなものが分からないまま育った。帰れる家がある人は羨ましかったし、味方がいない心細さに悩まされた事は何度もある。
でも母に出会ってから、私の家族観は一変した。母は、私たちを心の底から愛してくれている。それが私たちの心に伝わってくる。気にかけてくれて、心配していて、幸せを願ってくれていて、たまに叱咤もしてくれる。
私たちがきっと何もしなくても、無償の愛で包み込んでくれるだろう。
こんな感覚は、生まれて初めてだった。仕事に疲れて実家に帰ると、温かい料理(とんでもなくおいしい)がてんこ盛りになって出てくる。初めての経験だった。
盆や正月に実家に帰る、という経験すら私にはなかったのだから、母の「いつでも帰っておいで」という圧倒的な包容力には度々泣かされそうになる。
人生をやり直したいと思う事はたまにあるけれど、娘とオットの存在、そして今このタイミングだから出会えた母の事を踏まえると、もう私はやり直したくない。キッパリと言える。

家族でみんなの誕生日会をして、クリスマスにはチキンを焼き、年始にはご挨拶をする。夢にまで見た家族が、娘が繋いでくれた縁で目の前に存在している。
叶った夢には、背負った重みもセットでついてくるのだが、それもまた心地良い。この感覚は、娘を産んだ時に知ったものだった。
家族を続けるには各々の努力が必要なことも、今の私なら分かる。私も、父も、母も、オットも、娘もみんなが努力していて、だから成り立っている。家族は、もろくて、陰湿なほど根深い。だからお互いに期待しすぎず、甘えすぎず、気にかけあって、それを続ける事が大切。それを教えてくれたのは娘とオット、そして母。35歳を超えてから、家族を知るとは思っていなかった。そしてこの感覚は、娘にも受け継がれていくのだろう。
人生は何があるか、本当に分からない。あの時叶わなかったことも、いつかの未来では叶うかもしれないのだ。
be a good enough mother.
そして、なんでもない日おめでとう!

今週の Happy Unbirthday アイテム
オットのお下がりのチープカシオ!
オットが金属アレルギーになってしまい、使えなくなってしまったので譲り受けたチープカシオ。随分前に購入したそうですが、昔、オットが愛用していたものを、今の私がかわいい!と思えていることがなんだかうれしくて、見つめてはニヤニヤしてしまいます。


