■仕事も家族も大切なのに…耐え難い罪悪感に襲われて
――復帰後、仕事と育児を両立する中で、考えていたことは。
豊崎 当時、週2で出演していた番組は生放送で、朝10時に出社して会議やリハーサルをして夕方から本番、夜7時に終わります。会社を出るのは8時過ぎになるので、その日は保育園のお迎えをシッターさんにお願いしていました。帰宅してシッターさんとバトンタッチするのですが、私はしばしば泣いてしまって。
今振り返ると、泣いていたのは私だけなんですけど。子どもはケロっとしていて、保育園でもシッターさんといるときも楽しそうにしているのに。罪悪感。そう、罪悪感が大きかったですね。
――その罪悪感、すごくわかります。
豊崎 仕事も育児もどちらも中途半端で、子どもと一緒にいると「なんでもっと一緒にいてあげられないんだろう」と思うし、職場に行くと「なんでもっと仕事をできないんだろう」と思う。泣きながら「ごめんね」と思っていました。どちらも100、むしろ200でやりたいのに、できない自分にすごくイライラしていました。
――仕事面でも出産前とは違う歯がゆさを感じることはありましたか。
豊崎 たくさんありましたね。たとえば会議中、「昨日の夜、私以外のみんなで飲み会があったんだな」と気づいたとき。もし誘ってもらっても行くことはできないし、みんなも気を遣ってくれているのですが、子どもを生む前なら自分もそこにいただろうと思うと、すごく寂しく思っちゃったんですよね。
独身時代はがむしゃらに働いてきたけれど、もう同じようにはできないんだな。これからは、今まで積み上げてきたものとは別のものを積み上げなきゃいけないんだな。自分で選んだことですしどうしようもないことなのはわかっているんですけど、寂しさや悲しさを覚えました。
――そのとき、「退社」という選択肢が現実味を帯びてきたのでしょうか。
豊崎 そうですね。このまま続けるか、違う道に行くかを考え始めました。

――豊崎さんは、会社員時代に保育士資格も取得されているんですよね。
豊崎 まだ結婚する前に、働きながら学んで保育士資格を取得しました。そう、だから産後に「保育園を会社に作れませんか」と社長に提案したことがあります。子どもを会社の託児所に連れてきて、授乳して、また仕事に戻るという働き方ができたらいいなと思ったんです。ほかにも、子どもが熱を出したときに社内の空いている楽屋でシッターさんに自費で見てもらうことなども相談しましたが、制度上難しいという結論でした。企業としては正しい判断だとは思うし納得せざるを得ないのですが、現実の解決にはならないもどかしさがありましたね。
――パートナーもテレビ局員ということで忙しく、保育園の送迎や病児の看病で仕事を休むことなどは難しかったですか。
豊崎 難しかったですね。もちろん今はそういう働き方をしている男性だってたくさんいると思いますが、当時、たとえば「子どもが熱を出しました」と保育園から電話がかかってきて、夫にお迎えを頼んだとしたら周囲から「え、豊崎が行くんじゃないの⁉ なんで?」とびっくりされてしまうような感じもありました。
実際、夫に「熱出ちゃったって」と連絡したら「俺、今日はお迎え無理やねんな」と言われて「私も無理やねん!」と喧嘩になることも。この喧嘩、すごく不毛だなっていつも思っていました。
――そうしたことの積み重ねが、退社という決断につながった。
豊崎 退社という選択肢が現実味を帯びてきましたね。最終的に、制度の中でどうするかではなくて、「自分がどうするか」を大事にしようと考えて、会社を辞めてフリーになることを決めました。
「続けるか、辞めるか」——。答えの出ないまま揺れ続けた末に、豊崎さんはひとつの決断を下します。しかしそれはキャリアを手放すことではなく、“働き方そのものを問い直すこと”でもありました。
後編では、会社を離れたあとに見えてきた子育ての課題と、新たな一歩を踏み出すまでの道のりを伺います。
豊崎由里絵(とよさき・ゆりえ)
1988年生まれ。青山学院大学卒業後、2013年に毎日放送(MBS)にアナウンサーとして入社。情報番組やバラエティなどで活躍し、順調にキャリアを築く。結婚・出産を経て、仕事と育児の両立に向き合う中で働き方を見つめ直し、2019年に退社。2025年、東京都世田谷区桜新町に子育てを地域で支え合う拠点「シェア実家」を立ち上げた。
(取材・文 マイナビ子育て/写真はすべて豊崎由里絵さん提供)
