黒柳徹子が司会を務める「徹子の部屋」(テレビ朝日系)が19日放送され、歌手でタレントの早見優がゲスト出演。ハワイ育ちの早見が、日本に来てデビューした当時、価値観の違いから芸能界での新人タレントに求められるある風潮に戸惑ったエピソードを明かし、その事情や背景に徹子が理解を示す場面があった。
デビュー44年、もうすぐ還暦という人生の大きな節目を迎える早見。今もステージで歌い続けており、斉藤由貴、斉藤和義、渡辺美里、トータス松本、吉井和哉、大槻ケンヂら、同じ1966年生まれの仲間とともに、年1回「ROOT66」と題するライブを開催している。
還暦を前にますますアクティブになり、今年1月には初となる雪山登山に挑戦したという早見は、一面の銀世界に感動したという登山の魅力を熱弁。社会人になり、米国で暮らす2人の娘たちとの親子関係や、ハワイで祖母とともに自身を育て、54歳の若さで他界した母親との逸話も語った。
同番組への初出演は16歳の時、今も多くの人に愛されている5枚目のシングル「夏色のナンシー」発売の3カ月後だった。早見はその当時を振り返り、アイドルはどんな時も「はい! はい!」と元気よく返事して受け入れなければいけないと教えられたことが腑に落ちなかったと述べ、振付師に対して「なんでこういう振付なんですか?」と疑問に感じたことを口に出してしまったといい、その頃の自身を「かわいくなかった」と反省した。
徹子が「でも、アメリカ育ちだと、そういう時、わりとはっきり言っちゃうんだって?」と尋ねると、早見は「クラスの30人が右だって言っても、自分1人が左だと思ったら、左って言ってもいいんだよっていうふうに育てられたので、納得いくまで、周りの大人たちに『どうしてですか? なんでこういうふうに答えるんですか?』って聞いてたのはすごく覚えてます」と、日米の教育のギャップが背景にあったことを説明した。徹子も「日本では、そういうふうに聞かないもんね、やっぱりね」と納得。早見はさらに、日本では何かわからないことがあった場合、「わからないです」と答えるのがかわいいとされる風潮があったが、自分は、わからないことがあれば調べて自分なりの答えを持ったうえでテレビに出なくてはいけないと考えていたとも明かした。

