●「私も消えたい」日記につづられた苦悩
被告人は、母親が亡くなった日から日記を書き始めた。
弁護人:あなたの日記には自殺を伺わせるものもありましたが、どういうことでしょう
被告人:私自身も消えたい気持ちで…起きたらそのまま私もいなくなってたらなと。
弁護人:この状況はどうなると思ってましたか。
被告人:どうにかなるとかは考えてませんでした。ただ、母にごめんなさいと。
日記には「お母さんにお茶を届ける」といった記載もあった。母の好物を枕元に供え、定期的に服を着替えさせるなど、被告人なりの弔いだったのだろう。
一方、時間を経つほど、周囲へ打ち明けることは難しくなった。
役場の職員が自宅を訪ねてきた際には、母親が生きているようにふるまった。近所の人が食べ物を差し入れてくれたことも日記には記されていたが、それでも母親の死を誰にも伝えることはできなかった。
●社会復帰後も「一人」
検察側は、約1年9カ月という放置期間の長さや、役場との面談を拒否したことなどを重視し「相応に悪質」として拘禁刑1年を求刑した。
一方、弁護人は、年金を不正受給する目的はなく、死者の尊厳をことさらに害した態様もないとして、寛大な判決を求めた。
被告人には頼れる親族がおらず、社会復帰後も帰る場所は母親と暮らした家しかない。法廷では「今後困ったことがあれば、行政を頼る」と話した。その背中はとても小さく見えた。
弁護人は、そんな被告人に向かって「本当に大丈夫?」と声をかけた。
この事件で裁かれるのは死体遺棄罪だ。しかし、裁判を傍聴していると、法廷の外にはもう一つの問いが残されているように感じられた。
役場職員も捜査機関への取調べで「支援先でこのような事件が起きて残念」「もっと頼ってほしかった」と悔やんでいた。
司法で一区切りがついたあとも、この事件が投げかけた課題は、行政や地域社会が向き合うべき問題として残り続ける。

