コミックマーケット108(コミケ108)の開幕を15日に控えるなか、SNSではオタク文化を象徴する言葉「萌え」をめぐる議論があらためて盛り上がっている。「萌え」そして「リア充」がすでに「死語」であるとする投稿をきっかけに、Xでは言葉の変遷やインターネット文化の歴史を振り返る声が広がった。
発端となった投稿は、「『リア充』と『萌え』の2語は死語にならないでほしかった」というもの。「ニュアンス的にこの2語を使いたい時がいまだにある」として、多くの共感を集めた。
「萌え」は、1990年代前半にはオタクコミュニティで用いられていたとされる表現で、アニメやゲームなどのキャラクターに対して抱く強い好意やときめき、感情的な高まりを表す言葉として広まっていった。2000年代にはインターネット文化の拡大とともに広く知られるようになり、2005年には「新語・流行語大賞」のトップテンに選ばれるなど、一般社会にも浸透した。
一方の「リア充」は、「リアル(現実世界)が充実している」の略で、2000年代後半にインターネット掲示板などを通じて広まった俗語である。恋愛や友人関係、趣味、学校・仕事など、現実の生活が充実している人を指す言葉として定着した。
「推し」「尊い」では置き換えられない?
現在は「推し」「尊い」「エモい」「メロい」といった表現が広く使われている。しかしXでは、「萌え」はそれらとは別の感情だとする声が目立った。
「萌えるのと推すのは違うしエモいもメロいも違うのよね… やっぱり萌えは萌えかしら」
さらに、「推し」や「尊い」がより一般化したオタク文化を象徴する言葉だと感じるユーザーからは、こんな指摘も出ている。
「『推し』とか『尊い』にはいかにも“消費者”的な社会性を内面化しすぎた現代人っぽいワードセンスだなーと思うけど、『萌え~』には単に痙攣してるだけみたいなアホっぽさ、身体性が感じられてたしかに死語になるには惜しいですね」
「推し」という表現ではこぼれ落ちてしまう、理屈より先に来る衝動的な高揚感。それこそが「萌え」にしかない魅力だと感じている人は少なくないようだ。
また今回の議論では、当時のオタクたちが実際にどう言葉を使っていたかという「歴史の検証」を試みる声も上がった。メディアが描いた「萌え~」というデフォルメされたオタク像への違和感が語られた一方で、当時のネット掲示板やコピペ文化では実際に「萌え〜」が使われていたという証言も相次ぐなど、言葉が辿ってきたリアルな歴史を振り返る議論へと発展している。
ネットとリアルが分かれていたからこその「リア充」?
「リア充」についても、「死語」扱いされるようになったことに関して、「かつてのように『ネットの自分』と『現実の自分』が明確に分かれていた時代だからこそ生きた概念だったのでは」と分析する声が上がった。スマートフォンやSNSによってネットと現実が常時接続された現代では、「リアル」と「ネット」を二項対立で捉える感覚自体が変化しつつあるという見方だ。
新しい言葉が次々に広まり消費されていくなかで、「死語」とされる基準やスピードも変化している。しかし、「萌え」や「リア充」がそれぞれ「推し」や「陽キャ」といった現代的な表現に完全に置き換わるわけではなく、その言葉だからこそ表現できる特定のニュアンスやコンテクストがあったこともまた事実だ。これらの言葉は、個人の感覚や特定の文脈に紐づいた表現として、限定的ながらも独自の役割を持ち続けることになりそうだ。

