だが、これは「暑さ」だけが奪った命ではない。倒れる寸前まで過酷な稽古が続けられる中、顧問による暴行もあった。体調に異変が表れた後も稽古が止まらなかったことは、部員の証言や後の裁判によって判明している。
私自身、20年以上剣道を続けてきた。暑さのなかで防具を身につけ、竹刀を振り続ける苦しさも、客観的に見て厳しい指導でも「武道はこういうものだ」と受け入れ、耐えてしまう独特の空気感も知っている。だからこそ、剣太さんの身に起きたことが、どうしても他人事とは思えなかった。稽古の場で、顧問や先輩がどれほど絶対的な存在になりうるか。その怖さを、経験として知っているからだ。部活動という場で生徒の異変に気づき、稽古を止める判断ができるのは、本来、顧問と、それを補佐する副顧問のはずだ。
だが、暴行を加えていたのは顧問自身であり、副顧問もまた、それを止めることができなかった。遺族は一貫して、この二人の責任を問い続けてきた。事件から17年がたったいま、剣太さんの母・奈美さん、父・英士さんに、あらためてその思いを聞いた。
「危険な指導者」はなぜ竹田高校へ。前任校でも起きていた深刻な問題
剣太さんを指導していた顧問が竹田高校に着任したのは、事件の4か月前のことだ。実は前任校でも、この顧問をめぐる深刻な問題が起きていたという。当時、剣道部でキャプテンを務めていた生徒が、顧問から標的のように扱われていた。倒れた際には、手を強く踏みつけられたこともあったという。逃げ場のないまま、その生徒はやがて学校へ通えなくなり、卒業式にも出ることができなかった。
事の深刻さが明らかになったのは、その生徒が卒業したあとだった。大学で剣道を続けようとしたところ、竹刀がうまく握れない。病院で診てもらうと、手の靭帯を損傷していた。母親は、在学中に顧問から手を踏みつけられたことが原因ではないかと考えた。
事の深刻さを知った母親は、県の教育委員会に足を運んでこう訴えたという。
「この人はとても危険です。剣道の指導をさせないでください。もし遠征などに行かせるなら、この人を見張るための、別の先生をつけてください」
母親は、繰り返し、その危険性を伝えた。だが、真剣に取り合ってはもらえず、まるでモンスターペアレントであるかのような対応をされたと感じたという。やがて告げられたのは、「あの先生は、よそへ異動させますから」という言葉だった。その異動先が、竹田高校だった。
事件のあと、この母親は剣太さんの遺族に、こう詫びたという。
「私がもっともっと騒いでいたら、危険な人間だと言い続けていたら、剣太くんは死なずに済んだのに。ごめんなさい」
「聞いていない」顧問の危険性は引き継がれていなかった
前任校で「危険だ」とまで訴えられていた人物が、なぜ何の対策も取られないまま異動し、赴任先でも再び剣道部の顧問を務めることになったのか。剣太さんの両親は、この点に強い疑問を抱いてきた。両親が竹田高校の当時の校長に確認したところ、返ってきたのは「(そんな申し送りは)聞いていない」という答えだった。前任校での問題は、異動先には伝わっていなかったのだ。
公立学校の教員人事は、各学校が選ぶのではなく、県の教育委員会が決める。受け入れる側の学校に、拒否する権限はない。つまり、危険性をもっともよく知る立場にあったのは、前任校や、異動を決めた教育委員会の側だった。
前任校で問題になっていた指導者が、その事実を伏せられたまま別の学校へ移る。危険を知らせる情報が、前の学校から次の学校へ、きちんと引き継がれていなかった。学校や教育行政が向き合うべき課題は、決して小さくない。

