はぁーー。
1人になった途端、全身の毛穴が開くような感覚。
朝の6時に起きて早く新幹線に乗りたいとはしゃいでいた奏太を連れて、夫は8時ちょい過ぎに家を出た。
はぁーーでもお腹の辺りに力が入るような緊張感。
もうどっちの「はぁーー」なのかわかんないけど、とにかく用意しないと…。
今日、打ち合わせに行くヨリミチビヨリは新橋にある。久々の打ち合わせにそわそわしている早めに家を出た。
キリコ 「あぁ良い天気だ。きもちいい。けど…緊張する」
打ち合わせに行くのは何年ぶりだろうか。
どんな格好をしていくのか、どんなバッグを持って行くのかもすっかり忘れ、とにかく少し小綺麗な服を着て、小綺麗なバッグ…、が見つからず、けっきょくいつも背負っている黒いリュックにした。
1人で電車に乗るなんて、久しぶりすぎて落ち着かない。 / 14話 sideキリコ
23,937 View出産前に仕事を請けていたヨリミチビヨリの編集者・吉田から「ママ向けサイトの立ち上げをしているからライターの仕事を頼みたい」という連絡が来たキリコ。
夫・満が息子の奏太を連れて、新幹線で岐阜の実家に向かった土曜日。キリコは仕事再開に向けて、吉田との打ち合わせに向かうことに――。
第14話 side キリコ
1人で電車に乗るのも久しぶり過ぎて、スマホニュースを見ても全然頭に入って来ない。
遠くの席で騒ぐ子どもの声が聞こえて「お母さん頑張れ」とテレパシーを送ってみる。
そんなこんなで新橋駅に着き、何度もグーグルマップを見ながら歩いていくと、あぁここ知ってる、という感覚が飛び込んでくる。
鼻から息を思い切り吸い込み、ヨリミチビヨリがある5階のインターフォンを鳴らす。
キリコ 「吉田さんと本日10時半に打ち合わせの約束をしました、ライターの円田そう…キリコです」
やばい思わず「ライターの円田奏太」と言いそうになった。
吉田 「お疲れ様です。どうぞ~」
オートロックが解除されエレベーターで5階に向かうと笑顔の吉田さんが待っていた。
吉田 「わー、お久しぶりです」
吉田さんは淡いイエローのリネンワンピースに、黒いパンツを合わせていた。
ラフなのにだらしなく見えなくて、かつ、かわいい!
あぁ、小綺麗ばかりを気にして、無難な格好をしてきた自分がなんだか恥ずかしい。
吉田 「どうぞ、どうぞ~」
キリコ 「ありがとうございます」
中に入ると、間仕切りのないスペースにカラフルなテーブル席が並んでいる。
キリコ 「なんか…編集部内、代わりましたよね? テーブルとか椅子とかカラフルになってカワイイ」
吉田 「あー、そうなんですよ。去年かな? 改装して。前にキリコさんが編集部に来たのは…お子さんが生まれる前ですもんね」
キリコ 「はい。あー、でもメールのやり取りが多かったし、何気に5年ぶりくらいかも」
吉田 「おー、そんなに。ようこそ、ヨリミチビヨリへ。なんて」
吉田さんに案内されて私はクリーム色のテーブル席に座った。
キリコ 「いやー、相変わらず吉田さんカワイイです!お子さんがいて、仕事もバリバリしてて…」
吉田 「本当ですか? これは子たちに自慢しなきゃ。はは」
キリコ 「お子さんっておいくつでしたっけ?」
吉田 「長男が7歳、小1で、長女が5歳です」
キリコ 「わ、小学生」
吉田 「キリコさんちの息子さんは来年の4月から幼稚園なんですよね。キリコさんが自主的産休に入るって連絡をくれたのが昨日のようですよ」
キリコ 「すっかり老けましたよ。子育てが予想よりはるかに大変で」
吉田 「ですよね~。やってみた人にしか分からない大変さっていうか」
キリコ 「テンパってるママも見ると、テレパシーで応援しちゃいますもん」
吉田 「あはは。送ってほしい」
同い年ふたりが揃うと、無駄話が止まらない。
夫に話しても「へぇ」とか「そうなんだ」しか返って来ない話にも、欲しい返答が返ってきて楽しいわ~、と思いながら出してもらったホットコーヒーを口にすると、吉田さんは仕事の話を始めた。
吉田 「ママ向けアプリの企画立ち上げを私が中心になって動いています。今、キリコさんといろいろ話して、わかる~ってなってましたけど、まさにその感覚を共有できるようなアプリ、サイトにしたいと思っていまして」
キリコ 「なるほど」
吉田 「ママの気持ちにぴったり寄り添いたい、がメインテーマなので、スタッフも全員ママ、そしてお願いするライターさんも全員ママにしようと」
キリコ 「おお、こだわってますね」
吉田 「やっぱり自分が子育て中ですからね。欲しい情報がいっぱいですよ」
キリコ 「わかります」
吉田さんと私は目と目を合わせ、うんうんとうなずく。
吉田 「で、ですね。過去に一緒に仕事をして、この人に任せたい! と思える人にだけ声をかけさせていただいていて、キリコさんにもお声をと思っていたら、キリコさんの方からメールがきたので、これはもうグッドタイミングだと思いましたよ!」
そんなことを言ってもらえるなんて…!嬉しすぎる!もういっそ吉田さんとハグしたい!
…と、心では思っているのに、私は吉田さんに笑顔を返すことが出来ない。
キリコ 「…ありがとうございます」
吉田 「…?」
私の予想外の反応に吉田さんが不思議そうな顔をしている。
あぁ、RAIRA事件のこと話さなきゃ…。
すんごい話したくないけど、言わないとモヤモヤするし…。そのために来たんだし…。夫も背中を押してくれたんだし。
…よし。覚悟を決め、鼻から息を吸い込むと、先日仕事を落としたことを吉田さんに話した。
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