奏太が岐阜の環境に慣れるために、義実家に連泊することを夫から提案された翌日――。
姉・洋子から電話があって、私は奏太を連れて栃木県にある実家に向かっていた。
お父さんの退職祝いっていうタイミングのいい帰省理由ができてよかった。
ごちゃごちゃになっている頭の中を夫と離れて整理したい。
少し薄暗くなってきた16時過ぎ。
湘南新宿ラインに乗ってハイテンションの奏太と一緒に小山駅に降り立つ。
改札を抜けてロータリーに向かうと、姉の車、ワイン色のセレナが停まっている。
奏太 「わ~! おおっきいくるま!」
洋子 「奏ちゃん、こんにちは。うしろ、チャイルドシートつけといたよ」
キリコ 「ありがとう」
車が発進し、奏太は窓の外を見ている。
奏太 「あれ、ちーちゃんは?」
キリコ 「ちーちゃんはバスケットボールだって」
奏太 「ふ~ん、ボールかぁ」
キリコ 「ちーちゃん、夕飯の時は来るの?」
洋子 「ううん。部活が終わったら友だちの家で勉強するらしくて、今日は夕飯をごちそうになるみたい」
キリコ 「そうなんだ。いいなぁ、中学生」
私の言葉に姉はふっと笑う。
洋子 「まぁ奏太よりは楽かもしれないけど。そうやってママに引っ付いてる頃が懐かしくもあるよ。今なんて親より友だち、親が呼び出されるのは足に使われるときだけよ」
キリコ 「そんなもんかねぇ」
洋子 「そんなもんよ。クソ生意気になるしね~。マジで腹立って大喧嘩になるよ」
10年後…。奏太も姪っ子ちーちゃんと同じくらいの歳になるんだよね。
夫のお兄さんは中一で髪の毛を染めてたって言うし…。
あぁ、出来れば奏太がお母さんに優しいタイプの青年になりますように…。
老後なんてまだ想像できないけど、親になってもそれぞれの人生がある。 / 21話 sideキリコ
25,886 View内見した岐阜の家は理想的な家だった。しかし、引っ越した場合に通うことになる桜葉幼稚園のプレに参加した奏太は、人見知りと場所見知りで号泣。川口に戻り、川口つばさ幼稚園で友だちと笑い合う奏太の姿をみたキリコは引っ越しが奏太のためになるのかと心揺れる。話し合いの中、奏太が環境に慣れるよう岐阜にある満の実家で少しの期間過ごしてみたらどうかと満に提案されたキリコは―。
第21話 side キリコ
奏太 「ママー、どこに行くの? ちーちゃんち?」
キリコ 「ちがうちがう。え、言ったじゃん? おじいちゃんの家に行くの」
洋子 「おじいちゃんと一緒にご飯食べるんだよ~。お泊りするんだよ~。泣いちゃうかな?」
姉とバックミラー越しに目が合う。
キリコ 「どうだろ? …あー、でも考えてみたら奏太って、お泊り、義実家でしかしたことないかも」
洋子 「あれ、実家に泊まったことないんだっけ?」
キリコ 「うん。年始の挨拶は日帰りだし。だってお父さんしかいないんだもん。布団ちゃんと用意してくれるか微妙じゃない?」
洋子 「ははっ確かに。かび臭いまま寝るかもね」
キリコ 「夕飯だってさ、お母さんがいれば…」
そんなこと言っても仕方ないんだけどさ。
お母さんは4年前、鹿児島で一人暮らしをしている自分の母を心配して実家に行き、そのまま栃木の家に帰って来ない、一度も。
両親の突然の別居に私も姉も驚いたけど、お父さんは育児も家事もお母さんに丸投げの人だったから、今は「お母さんおつかれ!」という思いでいる。
奏太 「おじいちゃんちお泊りするの? おじいちゃんち、おもちゃある?」
おじいちゃんち、おじいちゃんちって…。
おばあちゃんも健在ではあるんだけどなぁ。
電話やメールで奏太の声や写真は伝えてきたけど、奏太がもう一人のおばあちゃんに会ったことがないのはどうなんだろう? と時々思わなくもない。
キリコ 「あるじゃん。ちーちゃんが使ってたお人形さんとか」
奏太 「やーだー! お人形さんはやーだー! くるまかでんしゃがいいー!」
誰か一緒だとワガママ言ってもママはそんなに怒らないと思ってるんだろ、奏太。
そんなことないぞ。姉の前なら素で怒れるんだからな。
キリコ 「…奏太ぁ」
洋子 「じゃあ、おもちゃ屋でも寄る? 私が何か買ってあげるよ」
キリコ 「ワガママばっかり……え、いいの?」
洋子 「いいよ、いいよ。奏太、何がほしい? ちーちゃんママが買ってあげる」
奏太 「わーい! えっとねー、しんかんせん!」
そのあと、新幹線のおもちゃ買ってもらってご機嫌の奏太と共に、寿司屋に寄り、お祝いの寿司を受け取った。
お寿司やお惣菜とか、買ったものばかりが並んだローテーブルを父・純一、姉、私、奏太で囲み、父の退職祝い会が始まった。
姉と父はお酒が大好きだからビールをグビグビ飲んでいる。
私はそんなに得意じゃないからノンアルコールビールで雰囲気だけ付き合う。
お母さんがいない実家。もう4年経つけど、やっぱり違和感ある。
「そういえば昨日作ったポテトサラダもあるけど食べる?」とか言いながらキッチンから顔を出しそうなのにな。
部屋はいつもそれなりに片付いていて、母がいなくても整理整頓できるようになった父の成長がなんだか切ない。
父と母はすれ違っちゃったまま、ずっと離れて暮らしていくのかな。
長年一緒にいたのに、年を取ってから別々なんて寂しくないのかな?
そんなことを思いながらえんがわの握りを口にする。うまい。
奏太はお米をトレーナーの袖に付けまくりながら海老の握りを美味しそうに食べている。
グビグビグビーっとビールを飲みほした姉が、ふーっと息を吐いてから口を開いた。
洋子 「いやー、まったく。お母さんも帰ってくるべきだよね。そう思わない?」
…うっ。すんごいストレートに言ったね。
今夜はそういうの突っ込んじゃう気なのかな、姉よ。
ドキドキしている次女の気持ちとは裏腹に、父はまったく顔色を変えない。
純一 「いや別に。俺は仕事が好きでやってたし、祝ってくれなくたっていいのに。俺はね、やり切った感でいっぱいなのよ。満たされてるの」
キリコ 「へ、へー…そういうもんなんだ」
純一 「うん。それにね、また母ちゃんとは暮らすし」
えぇ! びっくり発言、純一からも飛び出しましたよ。
洋子 「え、そうなの? お母さん、いつ帰って来るの?」
純一 「ちがうちがう。俺がね、鹿児島に行くの」
キリコ 「えぇ!!」
純一 「この家は、知り合いに貸す」
洋子 「はぁ!?」
ちょっと色々と頭がついていかないぞ…。
え、この家は人に貸して、父は鹿児島に…。
洋子 「何言ってんの? 聞いてないし!」
純一 「言ってないし!」
洋子 「ちょっとふざけてないで説明して!」
あ、姉がキレそう。落ち着こう…。
ぜんぜん落ち着けないけど、落ち着こう…。
純一 「俺はね、これから全国釣り旅をするの。釣りバカ日誌みたいに」
あぁ、うん。私の父はこういう人でした。
全部否定するんじゃなくて、父の目線になって話を聞いてみよう…。
キリコ 「全国って…どんだけお金かかるんだろ」
洋子 「そうだよ。老後の資金を使いきっちゃうんじゃないの?」
純一 「いやいや、そのための家賃収入だし」
な、なるほどね。遊ぶお金を家賃で作るわけだ…。
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