被災地の救世主!? 移動できる仮設住宅「ムービングハウス」誕生の裏側とは

「大きな家はいらない。この家に住み続けたい」

——ムービングハウスは2018年7月の西日本豪雨で41戸、同年9月の北海道胆振東部地震で19戸+26ユニットが建てられたそうですが、どのように普及していったのですか。

東日本大震災の時に建てたモデューロのミニハウスが、防災研究の大学の先生方の目に留まったようで、政府から「応急仮設住宅として使わせてもらいたい」と要請があったのです。

そして2018年の西日本豪雨から、本格的に応急仮設住宅として使われるようになりました。応急仮設住宅には国が定めたスタンダードな仕様があり、広さや間取り、ベッドの置き方……それに合わせてつくるのにはかなり苦労しましたが、建設費は1世帯あたり約520万円に抑えることができました。


2018年、岡山県倉敷市につくられたムービングハウスの応急仮設団地 写真提供:株式会社アーキビジョン21

印象深いのは、西日本豪雨の2年後に、ムービングハウスに住まわれた方々をお呼びして座談会を開き、一人ひとり感想を伺った時のことです。70代のご夫婦がこう話してくれました。

「震災の数年前、大手ハウスメーカーで新築の家を建てた。非常に満足していたし、もう一度建てるなら前のような家がいいと思っていた。今回住んだ仮設住宅は、たしかに前の家より狭いし、収納も部屋数も少なく不自由もした。でも、ここの家の暮らしは、夏は涼しくて冬は暖かい。快適に室内干しができて、前の家よりはるかにいい。今までの生活とはまったく質が違うんです」


ムービングハウスの内装 写真提供:株式会社アーキビジョン21

ムービングハウスは、一年を通して温度と湿度が一定です。電気代や光熱費も安い。全戸に乾燥室を設けてあり、洗濯物が3、4時間でカラッと乾きます。これは東日本大震災の経験からつけたものです。

こうした暮らしを体験して、「大きな家はいらない。この家にこのまま住みたい」と言ってくださったんです。そのため、応急仮設住宅としてではなく、自宅が倒壊するなどして住めなくなってしまった方の新居としても、数棟をご依頼いただきました。応急仮設住宅は1ユニット30平米ですが、新居では2ユニットを連結して60平米にされる方が多かったですね。

——その素早い建設スピードが評価され、内閣府が、各都道府県に御社と協定を結ぶよう推奨したとか。

我々はすでに、全国各地に多くの車両と、ムービングハウスを建設する作業員たちの宿舎を何百棟と持っていたんです。だからなんの問題もなく、非常に速い対応ができたと思います。

2024年1月に起きた能登半島地震でも、作業員たちの宿舎を応急仮設住宅にどんどん転用しました。石川県では4月中に約300世帯分(600ユニット)のムービングハウスが完成予定ですが、まったく足りていません。5月以降はさらに10世帯分を、年内には合計約800世帯分をつくる準備をしています。石川県だけで約1,200世帯分を設置予定です。

——丹野さんのこの仕事に対する想いや、はたらきがいを教えてください。

「無から有を生み出す」こと、「ものをつくる」ことが生きがいです。“地図に残る仕事”という有名なキャッチコピーがあるように、このムービングハウスを200年、300年と残していきたい。ぼくらのつくったものにはそれだけの価値があると思っています。

(文:原由希奈 写真:水上ゴロウ)